ノックス兄様の密命メシ2【ドラッツェン風オムレツ】

※この作品はファンメイドであり、料理名や世界情勢などは多分に個人の想像による解釈を含みます。その旨、どうぞご了承願います。

 

 

 

 ドラッツェンの薔薇と称された美女が、白いシーツの上に血の色をした薔薇を咲かせている。その周りに散らばった赤薔薇が五つ。こちらの薔薇は得物を手にした男衆だったが、いずれも一刀の内に絶命して、血溜まりの大輪を咲かせていた。
 ロング・ナリクの青年近衛騎士ノックスは、愛剣の白刃から血を拭い取ってから、静かに鞘へ納める。虚しさだけが胸の中に満ちた。しかし如何に汚れた命令でも、祖国と、そして何より家族の為には受け入れるしかない。
 女は、ロング・ナリクの某大臣の愛人である。無論そう信じていたのは大臣だけで、女は偽りの愛の対価として情報を抜き出しては、せっせとドラッツェン側へ売っていた。それロング・ナリクが放っていた間者が全滅するにあたって初めて了解されたという事実は、お粗末にも程があろう。
 ノックスはその始末を命じられた。聡い女は刺客を放たれると悟って用心棒を雇っていたが、残念ながらノックスの敵とはなり得ずに、純白のマントには返り血ひとつ残すことも出来ないまま全員が果てたのである。彼を破ろうというなら騎士の一団でも置いておくべきだった。
 踵を返して音もなく部屋を出、足を止めることなく屋敷の扉を開ける。
 すれ違った死体処理屋たちは怖気をふるって、顔を見合せあった。何だあの若僧は、表情ひとつ変えていなかったぞ、血もついていないなんて本当に終わってるんだろうな、むしろ楽しんでいるんじゃないか、流石に悪魔と呼ばれるだけはある、聞こえるぞ黙っとけよ……。
 外は夜明けが近い。白み始めた空に星々がしがみついていた。屋敷は小高い丘に建てられており、その足元にはドラッツェン旧市街が広がっている。見ている間にも眼下に蝟集した民家から漏れ出る灯りが、ぽつぽつと増えていった。薄く上がる煙は、かまどに火を入れたものだろうか。
 その途端にノックスは思った。
(……腹が、減った)


 ロング・ナリク使節団が隣国にして宿敵のドラッツェンを訪れたのは、初夏のことである。両国間の毎年恒例となった挨拶は、スウォードヘイル山脈が穏やかなこの季節と決まっていた。主な目的は停戦合意の更新。帰り道にはドラッツェン側の使節が同道し、ロング・ナリク王家への返礼を届けることとなる。
挨拶の順番は停戦条約で決められたものだ。ロング・ナリクとしては忸怩たる思いもあり、いつか引っくり返してやるという気持ちは国民全体が共有する感情だろう。
 今年は国境での挑発合戦は控えめで、停戦合意を反故にするような兵たちの小競り合いも無く、ドラッツェンを率いる姫将軍ジャルベッタの機嫌は比較的良かった。ロング・ナリク使節団は胸をなで下ろしている所である。
 そしてノックスにとって今とても重要なことは、木を隠すには森と言うが、今はロング・ナリク使節団と付随する人獣が街に群れているところであり、純白のマントを翻した若き騎士が歩いていたところで不自然に思う者がいないという点だ。早く使節団の元に帰ればまたぞろ嫌な任務が増えるばかりなので、寄り道を決行することとする。ノックスにはお目当てがあった。


 星を背に丘を下って、旧市街の下町に突入する。するとたちまち鼻をくすぐる甘美な香りに四方八方から包囲された。降参だ降参、どうにでもしてくれ。心に白旗を上げて敵陣の奥深くまで分入っていく。
ドラッツェンに関する報告書に僅かに記された文章を、ノックスは使節団に組み込まれて依頼ずっと舌の上で転がしていた。
「旧市街の居住地では早朝、本職の料理人ではなく家庭の奥方が惣菜を作って売る。ドラッツェン戦役の折、旧市街の外れにあった竜舎で勤務するウォー・ドレイク騎手の為に、近隣の市民が自発的に朝食を提供した古事が発端である。これを称して竜餉という」
 敵の舌を知ることも騎士の任務である、多分。そうノックスは任じながら、さてどのように買えば良いものかと足を止めて周りを見渡す。看板が出るのか、荷車のようなもので引き売りをするのか……。食事の香りはするが、売る気配がなかった。ドレイク騎兵の最盛期は過ぎた今、早朝の習慣は廃れつつあるのかも知れない。きっと訪問が早過ぎたのだろう。
 落胆しかかったところで、遠くの方から鎧戸を開ける音が聞こえて来た。見れば恰幅の良い奥方が操作している。上下に開閉するタイプの鎧戸で、開ければ上は日よけに、下は陳列台として使われる。つまり竜餉を売るのではないか。
(しめた)
 ノックスの心は浮き立った。戦場で名のある敵将の旗を見つけた時よりも高揚した。
(うん、並べ始めたな)
不審に思われない程度の早足で近づいて行くと、思わぬ伏兵が現れる。何処からともなく同じように竜餉を求めに来た近所の人々が湧いて出て、奥方が並べた側から買って行くのだ。評判の良い作り手なのだろうが、これでは辿り着く前に売り切れるのではないか?
 あっという間に黒山の人だかりとなった。押しのける訳にもいかないので後ろから眺めていると、買う側は手に皿を用意して来ている。
(これはますます駄目だ)
 ノックスは手ぶらである。報告書を恨んだ。風習文化に触れるのであれば細部まで書き切ってほしい。いや情報の取捨選択は難しいのであろう。しかししかし貴重なドラッツェンの庶民料理をーー使節団向けには王宮料理人が腕によりをかけた接待用の料理しか出ないのでーー味わうチャンスだと言うのに! 皿を持って集まるとでも添えれば良かったではないか!
 この家の名物はオーブン料理のようだ。ノックスが指を咥えて見ている前で、深皿いっぱいに焼き上げられたグラタンと、一見して火加減を心得た者の作だとわかる肉のローストが、飛ぶように売れて行く。グラタンはおたまのひとすくい単位で、ロースト肉は一枚から。併せて買って行く者も多かった。みな前の絶品料理ばかり見ていて、背後に異国の騎士が突っ立っていることには気づいていないらしい。
 口惜しいがそろそろ諦めなければなるまいなと思っていたところ、突然、
「ちょっと!」
と声が上がった。
「そこのナリクの騎士さん! 食べるんじゃないのかい!」
胴回りに見合う大きな声で呼ばわったのは、鎧戸に総菜を並べた奥方である。おたまをこちらに突きつけるその迫力や、ひよっこ騎士の尻を蹴飛ばして戦場に追い出す指揮官に引けは取るまい。

 人垣が一直線に割れ、ノックスはまるで海を割ったという聖人にでもなった気分でその間を進み、奥方と相対した。
「皿がありませんので」
 そう答えると、神聖なるオーブンの女主人はむんずとノックスの腕を掴んで、何処へやら引きずって行こうとする。素直に従う事にすると、何ということか、玄関口から家の中へ放り込まれたのであった。
「食べさせてやって!」
奥方が断固として指令を飛ばすと、真っ赤になってオーブンと格闘していた娘が顔を上げ、ますます顔を赤くする。
「いや、しかし……」
事の次第を飲み込んでノックスが辞退しようとしたところ、奥方はすでに外に戻っていた。
「いや、僕は……」
仕方なくオーブンの娘に言おうとしたが、こちらはミトンをはめた手で慎重に次の料理を取り出そうとしており、邪魔をするのはよろしくない。ノックスの言葉は宙ぶらりんになって、続きは虚しく消えてしまった。
 では覚悟を決めて食卓の一角をお借りすべきか。ノックスは恐る恐る近づいて、娘がオーブンから出した長方形の器の蓋を取るのを見学させてもらう事にした。陶器の蓋をぱかりと開けると真っ白い湯気が立ち昇る。そして、おお、胃袋を誘惑してやまないこの香りは!
(バターと卵、しかも上質なものだ)
 ぐう、とノックスの腹が鳴った。不覚である。ご婦人の前で無作法にも程があろう。されど考えてみて欲しい。料理に対する、そして料理人である彼女に対する最大の賛辞として受け取ってはもらえまいか。
果たして湯気越しに物欲しげな顔をした異国の騎士に、娘は大胆にも微笑んだ。そこで勇気づけられたノックスは口を開く。
ドラッツェン風オムレツですか」
ええ、と風のそよぎよりも微かな声が答える。表から響いた奥方の、
「次を早く出しな!」
という司令に掻き消されなかったのは重畳であった。
 ドラッツェン名物の具だくさんなオムレツは、これまたウォー・ドレイク騎兵に縁ある料理と伝わる。ドレイクの無精卵を有効活用する方法として考案されたというのだ。ノックスにとっては幸いなことに今では鶏卵を使うのだが、巨大なドレイク卵を調理した名残で、フライパンではなく深皿いっぱいに詰め込んでオーブンで焼く。卵と混ぜる具は何でもよく、野菜・キノコ・肉・チーズ・魚……昨日の残り物までなんでもありだ。各家庭によって様式が異なる、いわばドラッツエンの「おふくろの味」と言えよう。
 娘は手早く木皿を出し、器にみちみちと詰まって黄金色に輝くオムレツをひと掬いよそうとノックスに差し出す。残りは鎧戸の向こうで売られるのだ。
 ノックスは小気味よく動き回る娘を眺めつつ、看板商品の登場を堂々たる口上で発表する奥方の声とを聞いている。ふたりは母と娘だろうか。
「あの、騎士様。冷めないうちに」
そう言われて、ノックスは慌ててスプーンを構えた。熱々の料理を放置するのは作り手への敬意に欠ける。

 ふつ、とスプーンが卵の内に滑り込んだ。分厚い手応えを感じる。是が非でもお前を満腹にしてやるからな、という意気込みが宿っていた。よろしい。こちらもロング・ナリクの誇り高き騎士である。一騎打ちだ!
 槍ならぬスプーンで抉ると、卵の層に包まれた細切りの芋とチーズがとろりと流れ出る。ああ、この明快にして最高のトリオよ。しかし侮るなかれ、チーズの奥深さを。例え包容力に長けた卵と芋が随伴したとて、将たるチーズが腑抜けでは話にならぬ。
 まずは一撃。ノックスはスプーンを口に運び、そして硬直した。美味しかったからである。例えるならば一糸乱れぬ突撃陣形。卵と芋とバター、すなわち飛行騎兵と地上騎兵と歩兵とが、それぞれの役割を熟知して列を乱さず駆けていく。指揮官たるチーズが彼らを纏めあげて、至高の目的の為に団結させている。美味であるという勝利に向かって。
「き、騎士様、お口に合いませんでしたか!?」
娘が震える声で言ったので、ノックスは勇壮なるドラッツェンオムレツ軍との戦闘を中断した。
「いや、美味しさのあまり忘我の境地に達しただけです。申し訳ない」
 胸をなで下ろした娘が、緊張から解放されて微笑みを浮かべ、ノックスに葡萄酒を注いでくれる。
「何も混ぜていませんから……」
その娘の言葉が、敵国ロング・ナリクの騎士に対する配慮だと気づき、ノックスは気恥ずかしくなった。
「疑ってなどおりませんよ」
 速やかに杯を空にすると、ふんわりと夢見るような心地になる。なんて平和なんだろう。本当に求めるべきは、こういう時間が続くことなのだ。ノックスは騎士として、家族と穏やかにテーブルを囲んでいる時ですら、明日の暴力の効率化に頭を悩ませる必要がある。
 戦争も政争も、その愚かさを今だけは考えずにいたい。オムレツのことだけ考えていれば充分。そう願うノックスであった。

「ご馳走様でした」

 

[完]