ノックス兄様の密命メシ2【ドラッツェン風オムレツ】

※この作品はファンメイドであり、料理名や世界情勢などは多分に個人の想像による解釈を含みます。その旨、どうぞご了承願います。

 

 

 

 ドラッツェンの薔薇と称された美女が、白いシーツの上に血の色をした薔薇を咲かせている。その周りに散らばった赤薔薇が五つ。こちらの薔薇は得物を手にした男衆だったが、いずれも一刀の内に絶命して、血溜まりの大輪を咲かせていた。
 ロング・ナリクの青年近衛騎士ノックスは、愛剣の白刃から血を拭い取ってから、静かに鞘へ納める。虚しさだけが胸の中に満ちた。しかし如何に汚れた命令でも、祖国と、そして何より家族の為には受け入れるしかない。
 女は、ロング・ナリクの某大臣の愛人である。無論そう信じていたのは大臣だけで、女は偽りの愛の対価として情報を抜き出しては、せっせとドラッツェン側へ売っていた。それロング・ナリクが放っていた間者が全滅するにあたって初めて了解されたという事実は、お粗末にも程があろう。
 ノックスはその始末を命じられた。聡い女は刺客を放たれると悟って用心棒を雇っていたが、残念ながらノックスの敵とはなり得ずに、純白のマントには返り血ひとつ残すことも出来ないまま全員が果てたのである。彼を破ろうというなら騎士の一団でも置いておくべきだった。
 踵を返して音もなく部屋を出、足を止めることなく屋敷の扉を開ける。
 すれ違った死体処理屋たちは怖気をふるって、顔を見合せあった。何だあの若僧は、表情ひとつ変えていなかったぞ、血もついていないなんて本当に終わってるんだろうな、むしろ楽しんでいるんじゃないか、流石に悪魔と呼ばれるだけはある、聞こえるぞ黙っとけよ……。
 外は夜明けが近い。白み始めた空に星々がしがみついていた。屋敷は小高い丘に建てられており、その足元にはドラッツェン旧市街が広がっている。見ている間にも眼下に蝟集した民家から漏れ出る灯りが、ぽつぽつと増えていった。薄く上がる煙は、かまどに火を入れたものだろうか。
 その途端にノックスは思った。
(……腹が、減った)


 ロング・ナリク使節団が隣国にして宿敵のドラッツェンを訪れたのは、初夏のことである。両国間の毎年恒例となった挨拶は、スウォードヘイル山脈が穏やかなこの季節と決まっていた。主な目的は停戦合意の更新。帰り道にはドラッツェン側の使節が同道し、ロング・ナリク王家への返礼を届けることとなる。
挨拶の順番は停戦条約で決められたものだ。ロング・ナリクとしては忸怩たる思いもあり、いつか引っくり返してやるという気持ちは国民全体が共有する感情だろう。
 今年は国境での挑発合戦は控えめで、停戦合意を反故にするような兵たちの小競り合いも無く、ドラッツェンを率いる姫将軍ジャルベッタの機嫌は比較的良かった。ロング・ナリク使節団は胸をなで下ろしている所である。
 そしてノックスにとって今とても重要なことは、木を隠すには森と言うが、今はロング・ナリク使節団と付随する人獣が街に群れているところであり、純白のマントを翻した若き騎士が歩いていたところで不自然に思う者がいないという点だ。早く使節団の元に帰ればまたぞろ嫌な任務が増えるばかりなので、寄り道を決行することとする。ノックスにはお目当てがあった。


 星を背に丘を下って、旧市街の下町に突入する。するとたちまち鼻をくすぐる甘美な香りに四方八方から包囲された。降参だ降参、どうにでもしてくれ。心に白旗を上げて敵陣の奥深くまで分入っていく。
ドラッツェンに関する報告書に僅かに記された文章を、ノックスは使節団に組み込まれて依頼ずっと舌の上で転がしていた。
「旧市街の居住地では早朝、本職の料理人ではなく家庭の奥方が惣菜を作って売る。ドラッツェン戦役の折、旧市街の外れにあった竜舎で勤務するウォー・ドレイク騎手の為に、近隣の市民が自発的に朝食を提供した古事が発端である。これを称して竜餉という」
 敵の舌を知ることも騎士の任務である、多分。そうノックスは任じながら、さてどのように買えば良いものかと足を止めて周りを見渡す。看板が出るのか、荷車のようなもので引き売りをするのか……。食事の香りはするが、売る気配がなかった。ドレイク騎兵の最盛期は過ぎた今、早朝の習慣は廃れつつあるのかも知れない。きっと訪問が早過ぎたのだろう。
 落胆しかかったところで、遠くの方から鎧戸を開ける音が聞こえて来た。見れば恰幅の良い奥方が操作している。上下に開閉するタイプの鎧戸で、開ければ上は日よけに、下は陳列台として使われる。つまり竜餉を売るのではないか。
(しめた)
 ノックスの心は浮き立った。戦場で名のある敵将の旗を見つけた時よりも高揚した。
(うん、並べ始めたな)
不審に思われない程度の早足で近づいて行くと、思わぬ伏兵が現れる。何処からともなく同じように竜餉を求めに来た近所の人々が湧いて出て、奥方が並べた側から買って行くのだ。評判の良い作り手なのだろうが、これでは辿り着く前に売り切れるのではないか?
 あっという間に黒山の人だかりとなった。押しのける訳にもいかないので後ろから眺めていると、買う側は手に皿を用意して来ている。
(これはますます駄目だ)
 ノックスは手ぶらである。報告書を恨んだ。風習文化に触れるのであれば細部まで書き切ってほしい。いや情報の取捨選択は難しいのであろう。しかししかし貴重なドラッツェンの庶民料理をーー使節団向けには王宮料理人が腕によりをかけた接待用の料理しか出ないのでーー味わうチャンスだと言うのに! 皿を持って集まるとでも添えれば良かったではないか!
 この家の名物はオーブン料理のようだ。ノックスが指を咥えて見ている前で、深皿いっぱいに焼き上げられたグラタンと、一見して火加減を心得た者の作だとわかる肉のローストが、飛ぶように売れて行く。グラタンはおたまのひとすくい単位で、ロースト肉は一枚から。併せて買って行く者も多かった。みな前の絶品料理ばかり見ていて、背後に異国の騎士が突っ立っていることには気づいていないらしい。
 口惜しいがそろそろ諦めなければなるまいなと思っていたところ、突然、
「ちょっと!」
と声が上がった。
「そこのナリクの騎士さん! 食べるんじゃないのかい!」
胴回りに見合う大きな声で呼ばわったのは、鎧戸に総菜を並べた奥方である。おたまをこちらに突きつけるその迫力や、ひよっこ騎士の尻を蹴飛ばして戦場に追い出す指揮官に引けは取るまい。

 人垣が一直線に割れ、ノックスはまるで海を割ったという聖人にでもなった気分でその間を進み、奥方と相対した。
「皿がありませんので」
 そう答えると、神聖なるオーブンの女主人はむんずとノックスの腕を掴んで、何処へやら引きずって行こうとする。素直に従う事にすると、何ということか、玄関口から家の中へ放り込まれたのであった。
「食べさせてやって!」
奥方が断固として指令を飛ばすと、真っ赤になってオーブンと格闘していた娘が顔を上げ、ますます顔を赤くする。
「いや、しかし……」
事の次第を飲み込んでノックスが辞退しようとしたところ、奥方はすでに外に戻っていた。
「いや、僕は……」
仕方なくオーブンの娘に言おうとしたが、こちらはミトンをはめた手で慎重に次の料理を取り出そうとしており、邪魔をするのはよろしくない。ノックスの言葉は宙ぶらりんになって、続きは虚しく消えてしまった。
 では覚悟を決めて食卓の一角をお借りすべきか。ノックスは恐る恐る近づいて、娘がオーブンから出した長方形の器の蓋を取るのを見学させてもらう事にした。陶器の蓋をぱかりと開けると真っ白い湯気が立ち昇る。そして、おお、胃袋を誘惑してやまないこの香りは!
(バターと卵、しかも上質なものだ)
 ぐう、とノックスの腹が鳴った。不覚である。ご婦人の前で無作法にも程があろう。されど考えてみて欲しい。料理に対する、そして料理人である彼女に対する最大の賛辞として受け取ってはもらえまいか。
果たして湯気越しに物欲しげな顔をした異国の騎士に、娘は大胆にも微笑んだ。そこで勇気づけられたノックスは口を開く。
ドラッツェン風オムレツですか」
ええ、と風のそよぎよりも微かな声が答える。表から響いた奥方の、
「次を早く出しな!」
という司令に掻き消されなかったのは重畳であった。
 ドラッツェン名物の具だくさんなオムレツは、これまたウォー・ドレイク騎兵に縁ある料理と伝わる。ドレイクの無精卵を有効活用する方法として考案されたというのだ。ノックスにとっては幸いなことに今では鶏卵を使うのだが、巨大なドレイク卵を調理した名残で、フライパンではなく深皿いっぱいに詰め込んでオーブンで焼く。卵と混ぜる具は何でもよく、野菜・キノコ・肉・チーズ・魚……昨日の残り物までなんでもありだ。各家庭によって様式が異なる、いわばドラッツエンの「おふくろの味」と言えよう。
 娘は手早く木皿を出し、器にみちみちと詰まって黄金色に輝くオムレツをひと掬いよそうとノックスに差し出す。残りは鎧戸の向こうで売られるのだ。
 ノックスは小気味よく動き回る娘を眺めつつ、看板商品の登場を堂々たる口上で発表する奥方の声とを聞いている。ふたりは母と娘だろうか。
「あの、騎士様。冷めないうちに」
そう言われて、ノックスは慌ててスプーンを構えた。熱々の料理を放置するのは作り手への敬意に欠ける。

 ふつ、とスプーンが卵の内に滑り込んだ。分厚い手応えを感じる。是が非でもお前を満腹にしてやるからな、という意気込みが宿っていた。よろしい。こちらもロング・ナリクの誇り高き騎士である。一騎打ちだ!
 槍ならぬスプーンで抉ると、卵の層に包まれた細切りの芋とチーズがとろりと流れ出る。ああ、この明快にして最高のトリオよ。しかし侮るなかれ、チーズの奥深さを。例え包容力に長けた卵と芋が随伴したとて、将たるチーズが腑抜けでは話にならぬ。
 まずは一撃。ノックスはスプーンを口に運び、そして硬直した。美味しかったからである。例えるならば一糸乱れぬ突撃陣形。卵と芋とバター、すなわち飛行騎兵と地上騎兵と歩兵とが、それぞれの役割を熟知して列を乱さず駆けていく。指揮官たるチーズが彼らを纏めあげて、至高の目的の為に団結させている。美味であるという勝利に向かって。
「き、騎士様、お口に合いませんでしたか!?」
娘が震える声で言ったので、ノックスは勇壮なるドラッツェンオムレツ軍との戦闘を中断した。
「いや、美味しさのあまり忘我の境地に達しただけです。申し訳ない」
 胸をなで下ろした娘が、緊張から解放されて微笑みを浮かべ、ノックスに葡萄酒を注いでくれる。
「何も混ぜていませんから……」
その娘の言葉が、敵国ロング・ナリクの騎士に対する配慮だと気づき、ノックスは気恥ずかしくなった。
「疑ってなどおりませんよ」
 速やかに杯を空にすると、ふんわりと夢見るような心地になる。なんて平和なんだろう。本当に求めるべきは、こういう時間が続くことなのだ。ノックスは騎士として、家族と穏やかにテーブルを囲んでいる時ですら、明日の暴力の効率化に頭を悩ませる必要がある。
 戦争も政争も、その愚かさを今だけは考えずにいたい。オムレツのことだけ考えていれば充分。そう願うノックスであった。

「ご馳走様でした」

 

[完]

ノックス兄様の密命メシ【サン・サレンのラッツィーガ】

※この作品はファンメイドであり、料理名や世界情勢などは多分に個人の想像による解釈を含みます。その旨、どうぞご了承願います。

 

 

 任務を終えて見上げるサン・サレンの領主館は、先ほどまでの吹雪で白粉をはたかれたようになっていた。幸いにも退出の頃には雪は止んでおり、今は青空が覗いている。雪の反射が眩しかった。ロング・ナリクより来訪した青年近衛騎士ノックスが眉間に皺をよせて館を眺める姿は、傍から見れば威嚇しているようにも思えただろう。だが彼が考えている事はただひとつ。
(……腹が、減った)

 

 ロング・ナリクの外交使節向けに用意された館に帰ると、誰も入れるなと下男に申し付けてノックスは部屋に引き篭もった。聖槍士軍属にして近衛騎士という身分を示す純白のマントを脱ぎ、その下の礼服も脱ぐ。代わりに荷物袋の奥に密かに突っ込んであった、よれよれのチュニックを頭から被る。使い古された毛皮のマントを羽織れば、くたびれた労働者の出来上がりだ。父から譲り受けたマントは少なくとも三十年もので、それもサン・サレンで見繕ったものだというから、現地に溶け込む役に立つ。
 部屋は二階だ。窓を静かに開け、誰も見ていないのを確認してから、猫のような柔らかさでノックスは雪の積もった庭に飛び降りる。そのまま裏口からそっと抜け出した。
目指すは、そう、美味しいご飯のあるところ。大富豪リエンス家の長男であるノックスは美食に慣れている。だが本当に彼が愛しているのは庶民の味だ。

 

 肩を丸めて夕暮れの人並みに紛れていく。サン・サレンの目抜通りは石材の運搬車両が通り過ぎた直後で、祭りの余韻にも似た、高揚した空気が漂っていた。ノックスは北方の訛りに耳を浸しながら黙々と歩く。仕事柄あまり顔見知りを増やしたくも無いので、食事処は毎回変えている。さて今日も良い店に当たると良いが……。
(揚げパンも美味そうだが、どちらかといえばもう少し重いものがいい。だったら市場の食堂街に行くか? だがそれでは少々、冒険が足りない)
 路地裏に目を走らせたノックスは、ドワーフの一団がどやどやと賑やかに笑いながら店へ入っていく後ろ姿に目を留めた。石材の運搬を終えた、仕事帰りのドワーフ達であろう。その頑健な背中は何かしらノックスの胃袋に訴えるものがあった。
(よし、ここにしよう)

 

 するりと道を逸れてドワーフを吸い込んだ店の前に立つ。看板は控え目だ。トナカイの絵が描かれている。あまり上手とは言えない字で添えられた屋号は<角鹿亭>。何を出すのかはわからない。そもそも真っ当な食事処なのかもわからない。そこから賭けだ。しかし楽しいじゃないかとノックスは思う。年季の入った木の扉を押し開けると、たちまち店内に充満したお喋りに包み込まれた。いくつかのグループに分かれたドワーフの鉱夫集団が主の客層のようだったが、人間の親子連れや、北限に住む少数民族も座っている。場違いすぎることもなさそうだ。

 混み合った店内で席を探していると、ドワーフと目が合う。にかり、と白い歯を剥いて笑ったドワーフに手招きされた。恐らくはもう酒が入っている。頑固者の地底小人が他種族と陽気にやろうというのだから。ノックスがドワーフの間に尻を滑り込ませると、
「この店は初めてか」
手招きしたドワーフが聞いた。
「初めてです」
「それはいい」
早速、給仕の少女が飛んで来る。ノックスが答える間も無く、ひとりぶん追加だとドワーフが指を立てた。
「どっから来た」
「トーンの海沿いの方」

 ノックスは流れるように嘘をつく。ある時はカラメールの冒険者と名乗り、またある時はポロメイアから出稼ぎに来たと説明し、さらに別の時は東の国から辿り着いた移民と言ったこともある。それらは「ロング・ナリクの騎士」という明るい月の周りに転々と散らばる星のようなものだった。どれだけ嘘を重ねても、真の月はいつも煌々と彼を照らしてくれる。
「ということは魚食いか。なら驚くぞ、この店の名物にはな」
そうしてドワーフはノックスの背中を愛情を込めて叩き、ノックスは軽く咳き込んだ。

 すぐに料理が運ばれてくる。
「トナカイのブラッドソーセージに、マッシュポテト、コケモモのジャム。それから一杯のエール。鉱山上がりの空腹を相手取るに、このひと皿に勝るものなし!」
周囲のドワーフたちはエールのジョッキを机に打ち付けて賛意を示す。
「さあ食え若者。人生の上手くいかないことは、一旦忘れておくことだ」
 ノックスは暗褐色のソーセージに歯を立てた。ぷつりと皮が破れた瞬間に、ノックスの胃には肉汁と共にトナカイが立っていた。思っていたより臭みは無いが、血を食べていると思えば生々しさが増す。命そのものを凝縮した鮮烈な味がする。私を食べるのはお前か、と胃の中のトナカイがいなないている。そうだ、僕が食べる。お前をいただく。とても美味しく。二口目、春を待つトナカイがじっとこちらを見ている気がする。マッシュポテトは大地の味、コケモモはトナカイが命を繋ぐ恵みの味だ。トナカイの世界を胃の中に収めている。僕はこのトナカイと一昼夜共に過ごすらしいぞ、とノックスは思った。良い事だ。これで僕はサン・サレンの一部になった。

「美味しいだろう?」
ノックスは答える。
「とても。何という料理なんです」
「ラッツィーガ」
語源はサン・サレンの地方部族の言語かもしれない。不思議な名前を舌の上で転がすと、それはやがて胃の中のトナカイの名前として定着した。ラッツィーガよ、僕はお前を忘れまいよ。ノックスは語りかけた。トナカイは澄んだ目で彼を見返す。こうやって命は繋がっていくのだ。
「さあエールも飲め。おかわりもある。儂の奢りだ、若者はたんと食え」
また背中を叩かれる。凝りに凝った背筋に心地好い。

 今回の任務は、サン・サレンの領有する幾つかの山に、ロング・ナリクの騎士を鍛錬の為に送り込む、その許可を取りに来ていた。領主からはこってりと嫌味を言われたが、背に腹はかえられない。ロング・ナリクにも山はあるが隣国ドラッツェンとの国境線そのものであり、山岳地帯での戦闘訓練をするにはリスクが高すぎた。従って他国の山を借りるしかないのである。それも表立って使者を送る事は出来ず──ドラッツェンと戦うためにサン・サレンの山脈を借ります、などと公式発表したら新たな戦争が勃発するに決まっているので、ノックスのように単独行動を苦にしない騎士身分が隠密に書類を携えて訪問するのが常道なのだった。そして迂遠な悪口でなじられた後、意味不明な対価を求められる。返信を持って帰れば今度はロング・ナリクで頭ごなしに叱責されるのであろう。何とも損な仕事ではあった。
 その苦労を胃の中のトナカイが青草と一緒にむしゃむしゃ咀嚼している。けろりとした顔で。トナカイにしてみれば人間の葛藤など爪の先程の意味も無かろう。僕もそう思うことにしようとノックスは決め、だがサン・サレンの領主を頭からむしゃむしゃ齧る訳にはいかないからな、などとしょうもないことを想像すると少し元気が出た。
ノックスは質素なカトラリーを置いて、礼儀正しく頭をさげる。
「ご馳走様でした」

 

 今日も騎士ノックス・オ・リエンスは密命を帯びて暗い旅路を独り行く。

 されどそこに美食のある限り、彼は己を癒す術を知っている。

 

[完]

たとえ愚かでも、その足跡が続くなら(3/完)

 

10、

 

 メロウは目を覚ました時、自分が檻の中にいると気付いて愕然とした。

 押し込められた檻は人ひとりが座るだけの大きさしかなかった。小柄なメロウには余裕のあるサイズで、手足が少しは動かせる。

 同じような檻が幾つも並び、中には力の弱そうな人間や、女子供が詰め込まれている。

 檻は、はっきり言って出来が悪かった。格子の接合が甘い。魔力が通っている気配も無い。哀れな奴隷を押し込めるには間に合うだろうが、それがスウォードヘイル山脈をうろつく獰猛な生き物だったなら、役には全くたたないようなしろものだ。

 メロウは下手くそな継ぎ目を見て深呼吸する。破る方法は分かった。何故ならメロウ・ディレンはパニックに襲われる無力な子供ではなく、スウォードヘイル山脈を縄張りにする猛獣の仲間だから。接合部分の弱みをゆさぶれば、格子を押し広げることは可能だ。

 そのことにより、怪物狩猟者が檻の監修をしていないことも分かる。あの気持ち悪いエルフが権力を握っていて、ブラークを仕留めた怪物狩猟者がただの用心棒であるならば、まだ勝ち目が計算できそうだ。

 

 むかむかしていた。こんなのまるで、出来の悪い冒険譚にいつも出てくる、主人公の足を引っ張ることで居場所を得ている女のようである。だから自力で逃げなければならない、とメロウは決心した。

 問題はふたつ。ひとつは足につけられた枷(かせ)であり、もうひとつは地理がまるで分かっていないこと。

 屋外に放置されている檻から見える景色は難民区画であることに間違いは無い。門の外側なのだろうとは思った。変な形に三階も四階も積み重なった木の家が、今にも崩れそうなバランスで空を隠している。檻を破って逃げ出したとして、地の利は相手にあるのだ。

 猟師は決して自分に不利な地形で戦ってはならない。自分の実力が余所でもそのまま通じると、過信してはいけない。そう母から言いつけられている。

「ああもう、くそっ」

 メロウは金属製の重い足枷を見て悪態をついた。こればかりは引きちぎることが出来なさそうだ。しかも鉄球が付いていて、引きずって行くには重いし、邪魔過ぎる。

 憤慨していると、檻の列の端からすすり泣く声が聞こえた。鞭の音が鋭く鳴って、例の目つきの悪いエルフが怒鳴りつける声が響く。どうやらメロウを待ち受けている運命は、春を売らせる方向に舵を切っているらしい。

 母がいつも怒っていた。女性をさらって売るとんでもない輩がいるのだと。今なら怒りの源が良くわかった。同族が貧困のあまり人買いと手を組んでいる薄汚さに、母は怒りを掻き立てられていたのである。

 目つきの悪いエルフは音を立てて歩き、メロウの檻の前で足を止めると唾を吐きつけた。

「よう、メヴの娘。裏切り者にはお似合いの位置だな」

「裏切り者って何よ」

「分からないか!?」

 死にかけの蛇のような目を見開いて、エルフはメロウを見た。その奥に揺るぎない憎悪がある。石を投げ入れてもさざ波ひとつ立たないような深く、凝り固まった憎悪。

 芝居がかった仕草で手を広げたエルフは、

「お前のママは同族を置き去りにして人間とよろしくやった。その報いだよ、なあ」

メロウは唾を吐き返してやった。エルフの秀でた額のど真ん中に命中する。

「ここを何とかしたいなら、自分で変えたら良かったじゃない!」

 きいきい喚きながら檻を蹴飛ばし始めたエルフは、後ろから現れた巨漢に首根っこを掴まれ檻から離された。

「何しやがる!」

「売り物だぞ。値が下がる」

 例の怪物狩猟者である。改めて見れば、巨人のように大きい。彼が双子の兄と説明した男より頭ふたつくらい背が高く見えた。その兄よりブラークは小さかったのだから、怪物狩猟者はメロウふたりを縦に並べたくらいの身の丈があっても驚けない。

「それに、この娘の方が正論を言ってる」

「うるせえ!」

 怪物狩猟者が溜息混じりにエルフを放り投げると、地面に転がったエルフはまた獣のように四つん這いになり、湿度の高い上目遣いで相手を品定めするのであった。

「こちらは下りてもいいんだぞ。好きにしろケルヴァン。俺は雇われただけだからな」

 ふたりのやり取りよりもメロウの意識を釘付けにしたのは、怪物狩猟者の左腕に装着された手甲型のからくりだった。あのからくりで糸を操っているのであろう。

 何しろ驚くほど細く強靭な糸だったから、指で操れば指ごと切れて落ちてしまう。特殊な補助器具があるはずだと睨んでいたのだ。一度目は観察する余裕も無かったが、この機会を逃すわけにはいかない。

 そう集中していたから、続いて怪物狩猟者が言った、

「あの死に損ないを恐れているんだろう、ブラーク・オ・リエンスを?」

という言葉を、危うく聞き逃すところであった。

「ここに張り巡らせた罠を扱えるのは、俺だけだ」

「次にしくじってみろ、どうなるかわかってんだろうな」

 そう息巻いたエルフが、たちまち糸に絡みつかれて宙に吊り下げられたメロウは目で追った。エルフの手首の辺りから血が噴いて、糸を赤く染める。空中に血文字のような赤い線が描かれ、檻に閉じ込められた人々からも悲鳴が上がった。

「殺し損なうことはない。どの路地を通ってきても糸が知らせる」

 あのエルフがどうなろうと知ったことではないが、怪物狩猟者のからくりの動き、糸の張り方を見ていく必要がある。

 息を詰めていたメロウの体の内側で、どっと音を立てて熱が巡り始めた。

 

11、

 

 びょうびょうと耳元で風が唸っている。ブラークは塔の外壁に身を預けて、揚げパンを取り出しかぶりついた。

 ドワーフのドムリが言っていた広場を視認するのは想像していたより難しい。所狭しと額を寄せ合う難民区画の家々は途切れることなく広がっている。その中にぽっかりと開いた公共の空間など無いように見える。案内人が必要だ。しかしどうやって雇う?

 壁の外、ブラークの下方から音もなく手が伸びて来て、揚げパンを掴もうとした。ブラークは転がるように外壁から内へ転がり、

「何者だ!」

 声に恐れる様子もなく、塔の外側から狭間に手をかけて、少年と言っても良さそうな体格のエルフが上ってきた。

 たいていのエルフは無駄な肉のつかない細身の体型だとはいえ、あまりにも細い。枯れ枝のようだ。目は落ちくぼんでどんよりしているし、ぼろから突き出した腕は骨の形まで見て取れる。まともな食事を取っていないのだろう、とブラークは憐れみを覚えた。

「腹が空いているのだな」

 少年は無言でうなずく。

「これを渡してもいい。ただし」

よだれを垂らさんばかりに口を開いて突進してきた少年の手をするりとかわし、ブラークは言った。

「私は君たちと同族のメロウ・ディレン、ケルヴァン、それから人間の大男を探している。知っているか?」

「知ってるよ」

焦れたように口を開いた少年は手を突き出す。

「教えてくれ。夕方にケルヴァンは外の人々と取引をするのだろう? その場所に行きたい。教えてくれたらあげよう」

「言葉で説明できない。どうせ外の人間には言っても分からないから」

「そうだな。賢しい子だ」

 その言葉にエルフの少年は首を傾げた。どういう意味の言葉なのか、分かっていないのかもしれない。だとしたら、ますます哀れだ。

「褒めたのだよ」

「ふーん」

しばし考えてから、少年は言う。

「案内してもいいよ、ぼく」

「よし。交渉は成立だ。ほら――」

 ブラークが手渡した揚げパンを取ると、少年は年齢に似合わぬ狡猾な笑みを浮かべて身を翻した。ブラークが反応できないほどのすばしっこさで、外壁から身を躍らせ、

「ついてこれたらね!」

捨て台詞と高笑いが少年の後に続く。

「しまった」

 ブラークは狭間に駆け寄り、遥か下に見える屋根に軽々と着地した少年が、ふざけた動きをしてこちらを挑発してくるのを歯噛みして眺めた。

 それから少年は指笛を吹く。何の合図だったのか、別の指笛の音が応える。

 ブラークは屋根までの距離を目算した。身長の何倍あるのだろう。下手をすると骨折するし、屋根がブラークの着地の衝撃に耐えられるかは何とも心もとない。難民区画の屋根に突き刺さって助けてくれと叫んだ場合、慈悲を得られる確率は如何ばかりか。

 しかしこの時、ブラークは些か冷静さを欠いていた。勇猛果敢さを是とするロング・ナリクの血がそうさせたのかもしれないし、騎士道精神の発露であったのかもしれない。

 ともかくブラークは壁の狭間を蹴って、跳んだ。

 僅かな自由落下の後、両足の裏に粉々に割れそうな衝撃が走る。幸いにも屋根は踏み抜かなかったが、雪に置いた足が傾斜でずるりと滑った。両手剣を屋根材に突き刺して滑落を止めると、痛みで麻痺しかかっている足を無理やり動かして立つ。

 すぐそばで化け物を見たような顔をして、エルフの少年があんぐりと口を開けていた。目が合うと小さな悲鳴を上げる。

「道案内をするという約束だったな」

 少年は我に返り、先ほどとは異なる調子の指笛を吹いた。また応答がある。脱兎の勢いで屋根を走り始めた少年を、ブラークは追いかけた。

「助けて、助けて!」

 この少年が見張り役か連絡役に使われているなら、好都合である。応答してきた指笛は情報を集積している場所から発されているのであろうし、ならばそこが自ずと難民区画の頭脳に等しいといえよう。今のやり取りで大まかな方向は掴めた。

 とはいえ、これ以上こちらの侵入を報告されても困る。ブラークは追う速度を上げた。少年が駆け、時に狭い路地の上を屋根から屋根へ飛び移る動きにぴったりとくっついていく。度胸と大胆さにおいてはロング・ナリクの見習い騎士で随一と評されたブラークの、面目躍如である。

「私を恨め」

 泣きそうな顔をして振り向き、また口に指を持って行こうとした少年に、ブラークはあて身を食らわせた。枯れ枝と見まごう体格の少年エルフからくったりと力が抜けたのに罪悪感を覚えつつ、そっと屋根に横たえる。

 それから屋根の連なる先を見た。目的地は間もなくだ。

 

12、

 

 指笛がメロウの頭上でこだまする。

「へ、あのぼんくら騎士はおつむが弱いらしいな」

 にやにやと口から指を離して、エルフのケルヴァンは嫌らしい目を細めてメロウの檻を覗き込んだ。

「昨日死にかけたってのに学習しねえ。街門からのこのこ来やがったぜ。これならオレ達だけでボコれたな。お前、はずれを引いたよメロウ」

 奴隷商人を迎えるため、檻の周りには幾人ものエルフがたむろするようになっている。そのエルフたちから同意の笑いが上がった。

「おい、役立たず。働けよ。あいつは何処にいるんだ。エルフ小隊はぶん殴りたくてうずうずしてるんだぜ」

 ケルヴァンが怪物狩猟者にふざけて蹴りを入れる。怪物狩猟者は左手を動かしながら、ケルヴァンを無視した。

「おい。オレたちの金を無駄にするんじゃねえよ。働けって言ってんだろボケ!」

「見張りを呼び戻せ」

「はあ?」

「ブラークが消えた。路地にいない」

舌打ちしたケルヴァンが指笛を吹く。しかし応答がない。

「クソガキが、サボりやがって! おい……」

 その言葉は途中で、屋根の上から降ってきたブラークに文字通り断ち切られた。落下の衝撃を乗せた剣は、ケルヴァンを頭から尻まで真っ二つに切り伏せた。くるくると踊るように左右に分かれて倒れたケルヴァンの姿に、取り巻きたちはかん高い悲鳴を上げて我先にと逃げ出した。

「ブラーク・オ・リエンス、頭上より失礼致す! 我が庇護すべき乙女をお返しいただこう!」

 メロウは再会の喜びより先に、叫んだ。

「右!」

頭を動かしたブラークの右耳から血が飛ぶ。怪物狩猟者が静かに笑った。

「左手のからくりから糸が出てる。そいつ罠を沢山作ってるよ、ブラーク。下!」

 メロウの言葉に従って跳躍したブラークの足元で、複雑に織られた糸がきらりと光る。あそこに踏み込んでいたら足首が無くなっていただろう。どうやらブラークの目ではまだ糸が追えていない。怪物狩猟者の間合いで戦っていては勝ち目はなかった。

「ふふ」

さも愉快そうに怪物狩猟者が声を立てて、糸を繰る。

「これでメガレオンを躍らせたときは楽しかったな。お前はどれだけ踊れるか。いい振付師がついているようだから期待しているぞ、ブラーク・オ・リエンス」

「み、違う斜め左上!」

 ブラークの左肩から血が流れる。メロウには糸の軌跡が見えているが、口が追い付かない。もどかしくてもどかしくて檻を拳で叩いた。

「下! 右下! 上と右!」

 叫びながら檻に体を押し付ける。みしみしと音を立てて格子が外側へ膨らんでいった。そこに集中しすぎて、一拍声が遅れた。

「左!」

「駄目だな、拍子を外しては」

ブラークの胸に真一文字の赤い線が引かれる。

「う、あっ」

 よろめいたブラークの体の数か所から一斉に血しぶきが上がった。まだ浅い傷なのは怪物狩猟者が遊んでいるからに過ぎない。

「兄は戦う場所を間違えたな。こうすれば手も足も出なかったというのに。ロング・ナリクの神性鎧も無しに踏み込む度胸だけは認めてやるが」

「止まって!」

 メロウの言葉に、ふらついたブラークは足を踏ん張った。分厚いブーツがざくりと切れる。恐るべき敵だと認めざるを得なかった。打つ手が無い。左手のからくりとやらを斬り落としたくとも、その何歩も前にブラークは切り刻まれるだろう。

 怪物狩猟者は指揮者めいた手つきで左手を振る。その糸が描いたあまりにも複雑な軌跡を、メロウは表現する術を持たなかった。

「後ろへ!」

 ブラークは素直に飛び退きながら両手剣を振る。いくつかの糸が断ち切られたが、それも読まれていたのだろう。跳ね上がった糸がブラークの顔に切り傷を付けた。目に血が入ったブラークが棒立ちになる。

「さあ、終わりだ」

 興奮のあまりか怪物狩猟者はメロウの方へ一歩踏み出し、檻に身が触れそうな距離感まで近づく。それをメロウは待っていた。渾身の力で格子に最後の一押しを加え、千切れた格子を握って怪物狩猟者の左手に躍りかかる。足枷がついていても、立ち上がるだけなら問題はない。

 意表を突かれた怪物狩猟者は左手を引き、右手でメロウを殴ろうとした。その瞬間を逃さなかったブラークは、雷光の如き速さで強敵の懐へ踏み込む。心臓を正確に狙った突きが風を裂いた。

「おおっ!」

 怪物狩猟者は反射的に右手を戻して胸を庇おうとする。ブラークの剣はそこで急激に軌跡を変え、怪物狩猟者の巨躯を逆手に取って下へ潜った。

「なんだ、とおっ」

ぶつ、と音を立てて、からくりをはめた左腕がちぎれて落ちる。

「あがああああっ!」

 しかし怒り狂った怪物狩猟者は、痛みでも得物の喪失でも止まらなかった。素早い頭突きと蹴りがブラークの体にめりこみ、ブラークは並んだ檻に激突しながら吹き飛んでいく。

 メロウは足枷の鉄球を思い切り怪物狩猟者のすねにぶつけてやったが、ちっともこたえた様子はなく、かえって右腕で顔を叩かれた。メロウはそれだけで頭がくらくらして腰が抜け、座り込んでしまう。

 (こんなところで弱っちいことしてる場合じゃないよ、私!)

 何とか体を動かそうともがいているメロウの視界の中で、ブラークがよろよろと立ち上がる。口から血が垂れて白い胴着まで達し、それを赤く染めていた。息をするたび赤の面積が増している。

 怪物狩猟者は自分自身が怪物になったかのような咆哮を上げ、背中の大剣を片腕で抜いてブラークに襲い掛かった。

「来い!」

 ブラークは真っ向から受けて立った。一合、二合とぶつかる度に双方の剣から火花が散る。凄まじい膂力で振り回される怪物狩猟者の大剣は、その剣閃に巻き込まれた檻を易々と粉砕した。囚われた人々が悲鳴を上げる。

「この人たちを巻き込むな!」

「知らん、知ったことではない、ブラークッ!」

 怪物狩猟者が子供の入った檻を蹴飛ばした。咄嗟に避けようとしたブラークに向かって、怪物狩猟者は剣を突き出した。不用意に受け止めたブラークの手から両手剣が跳ね飛び、遠くに転がる。

「しまっ……」

「死ね!」

 高らかに哄笑を放った怪物狩猟者の剣の切っ先が、翻ってブラークの腹に吸い込まれていく――その直前で、落ちた。

「なんだとぉっ!?」

 すっぱり綺麗に断ち切られた腕先を、怪物狩猟者は信じられない顔で眺める。そしてメロウを振り返った。その手にあるのは怪物狩猟者の左手と、からくり。

「エルフなめんな。メヴの娘は狩人なんだから! 罠の使い方で負けたりしないよ!」

「くそ、くっそおおおおお」

 両手を失くした怪物狩猟者は自身を弾丸にしてメロウに突撃する。

「嘘でしょ!?」

 ブラークは怪物狩猟者の大剣を取り上げると、渾身の力で投擲した。ずぶりと背中に突き立った大剣に引きずられた巨漢はメロウの横を通り過ぎ、壁に激突してようやく止まった。

「……メロウ殿」

「ブラーク、無事っていうか、まだ立ってられる!?」

「大丈夫だ」

「血まみれで言われても困るけど。ええとブラーク、気絶しないでちょっと待ってね」

「ああ」

 失血にふらふらとしながら、ブラークは愛剣を拾い上げた。少し無茶をさせ過ぎたか刃こぼれが見られる。研ぎに出さなくてはなるまい。

 だがそこに無理を重ねて、檻を壊して回った。囚われの人々はブラークに礼を言いながらも、怯えて――主に血まみれのブラークに怯えて、しゃにむに逃げ出していく。

「メロウ殿、何をなさっている」

「こいつ路地に全部罠を張ったって言ってて、解除しないと……ここかな? 違うな、じゃあこっち……えっ!?」

 如何なる執念によってか怪物狩猟者は最後の力を振り絞って起き上がった。メロウが悲鳴を上げ、ブラークが両手剣を振るって首を落した。が、それよりも速く、怪物狩猟者はからくりに噛みついている。その目はにやりと笑っていた。

「いかん!」

 ブラークがメロウを庇った次の瞬間、広場の周囲を囲む家々が爆発する。張り巡らせた糸が脆弱な柱を、梁を、壁を、芸術的なバランスで断ち切っていた。四方の家が内側へ倒れ掛かってくる。降り注ぐ瓦礫から逃れる術はどこにもなかった。

(ああ、ここまでか……)

 メロウを抱きしめて、ほんの数秒であろうとも彼女を守ろうとブラークは思う。その胸にしがみついたメロウが呟いた。

「ごめんねブラーク、全部私が弱いせいなのに」

そして轟音の中に、何もかもが消えていく。

 

13、

 

「……というわけでね」

 メロウはてっきり、あの世にいるのだと思った。でも知らない声がするのは変だなとも冷静に考える。それに故郷の村では、死んだら風になって雪剣に昇るのだと……いや、よしておこう。

「命を救っていただいて、どう礼をすればよいのか」

「いいよいいよ。出世払いで十倍くらいにしてくれれば」

 きゃーっと手を叩いて笑った女性の声に、

「強欲だぞ、コビット」

という地の底から響いて来るような声がかぶさった。

「いえ、ドムリ殿にも十倍の出世払いをお約束いたしますよ。騎士の宣誓です」

「ひゅーう」

「わしは辞退する。ただの世直しの一環に金をもらうのは間違っておる」

 ブラークと誰かが話している。メロウは柔らかな掛布団のなかで、慎重に寝返りを打った。

「む、起きたな」

「メロウ殿!」

 目を開けると、ブラークの顔が鼻先にある。

「近っ」

と言うなり、メロウはむせ込んだ。声帯がミイラになってしまったかのようで、思うように話せない。体を起こして、ブラークが持ってきた水差しで喉を潤してやっと調子を取り戻した。

「では儂らは出て行く」

「ええドムリん、ここは感動の再会を目に焼き付けるとこじゃない?」

「無粋なことをするな、行くぞ。ではまた、騎士よ」

 ブラークは立ち上がって、部屋を出て行くふたりの背中に深々と頭を下げる。やや建付けの悪い扉をぎいぎいと閉め切って、ブラークは再びメロウのベッドの横に腰をおろした。

「メロウ殿、どこも痛いところはないか」

手や足を動かしてみて、メロウは答える。

「うん、少し筋肉痛って感じだけど、折れてるとかはないみたい」

「そうか」

ブラークは何故か目を泳がせて、続けた。

「許可を、いただけるだろうか」

「何の?」

「メロウ殿に、その、触れることについて」

「別にいいけど」

おずおずと伸ばされた指が頬を撫でる。

「無事で何よりだった」

 メロウは掛布団を跳ね飛ばしてブラークの胸に飛び込んだ。予測していなかった動きにブラークは椅子から転げ落ちて後頭部を打ち、数分後に見事なたんこぶを作ることとなる。

「メロウ殿、頭蓋骨の鍛錬はご遠慮申し上げたいのだが……」

床に大の字に伸びたブラークが言った。メロウはその横に並んで寝転んで、

「ごめん」

「サン・サレンの旅路で最も意表を突かれる技であった。私もまだまだ学ばなくてはな」

「その言い方、めちゃくちゃ根に持つやつじゃない?」

「持つ」

「ごめんなさい」

 ブラークはくすくすと笑い始めた。メロウが笑うなと言って胸をぽかりとやると、大げさに痛がってみせたりする。そういえば胸を切られていたのだったと思い至って再度謝ると、ブラークの方はまた楽しそうに笑うばかりであった。

「あの者の技が見事であったから、切り口が綺麗で予想以上に早く傷が塞がってしまってね。ちっとも痛くはない。心配してくれてありがとう、レディ。私は何も傷ついていないから、君が苦しく思うようなことは、何もないんだ」

 その言葉でメロウは一気に思い出す。この件すべてにまとわりついた自分の不甲斐なさを。後悔を。もう守られていたくないという気持ちを。

 むくっと起き上がって、床にあぐらをかいた。

「メロウ殿?」

「きちんと謝らせて。ごめんなさい、ブラーク。私のわがままで全部巻き込んだから」

 ブラークも起き上がって、向かい合う。

「わがままなどと言ってはいけない。それは思い違いというものだ」

「ううん、エルフのところに行かなければ良かった」

「メロウ殿、この件で自分を責めてはいけない。すべてを完璧にこなせる人間などいないのだ。私は確かにメロウ殿より剣が上手いかもしれない。冒険の経験や、広い世界の知識を持ち合わせているかもしれない。けれどそれは、最初から身につけていたわけではないのだよ。師に手を取ってもらい、迷惑を掛けながら覚えていったものに過ぎない。だから、私はメロウ殿に手を貸した。自分の知恵を繋ぐ為に、親鳥が雛を育てるように、大切なものを護ることでこの力を活かすために。私の決意を君が後ろめたく思う必要などない」

騎士はあくまでも真摯に言葉を結んだ。

「確かに自分の不足は悔しいだろう。しかしその思いは正しいが、己の罪だと考えるのは間違っている。それだけは確かだとも」

 

14、

 

 聞けば〈剣竜亭〉でたまたまブラークが声を掛けたドワーフのドムリとその相棒は、ブラークが奇襲をする随分と前から難民区画に潜り込んでいたのだという。しかし糸の罠にはばまれて前進することができなかった。

 そこに謎のエルフが現れて手を差し伸べたそうである。エルフに導かれたのは外部の者が知らない地下通路。それこそが難民区画の人身売買には足がつかないと太鼓判を押される秘密であった。

 地下通路は幾本にも枝分かれしているが、すべてひとつの大広間に収束するようになっている。つまり人身売買が行われる広場の真下に、だ。

「あのデカブツも知らなかったんだろうねえ。家がドカーンとなったら、地下もバカーンと割れるなんてさ。こればっかりはドムリんにしか予測できなかったよ、本当に。流石ドワーフ

「お前が儂を褒めるなど……。明日がこの世の終わりかもしれん」

「じゃあ呑も!」

「馬鹿たれ」

 美味しいパン粥をすすりながら、メロウはドワーフとコビットの会話に引き込まれている。粥は、怪我をして数日ものが喉を通らなかった冒険者に〈剣竜亭〉が無料で出すものとのことである。大盤振る舞いだが、しかし〈剣竜亭〉としても働き手には早々に回復してもらいたいのだろうから、両者にとって得のある仕組みなのだそうだ。それもこのドワーフとコビットに教わった。

 メロウは、ブラークが領主館に報告に行っている間、ここで待つようにと言われている。独りにはできないという親切心でふたりの冒険者はメロウの世話を焼いてくれているらしい。

「そんでね、おふたりが降ってきたからさ。ドムリん担いで逃げたよ、すたこらさっさ♪」

 家の倒壊に誘発されて、そもそも脆弱な掘り方だった地下部分に向かって地面が陥没した。運よくブラークとメロウは真っ先に陥没した位置にいたらしい。

 地下に転がり込んだふたりは仲良く失神しており、ドムリが抱えて逃げだしたほんの数秒後に、地下の広間は全体が押しつぶされて土砂で埋まってしまったという。

「なかなか良い冒険ではあった」

ドムリが言った。

「そうそう、ドワーフ危機一髪。ちな、一緒に捕まってた人たちも、あたしが出口まで連れてったのよん。このナイスバディだから瓦礫の隙間もちょちょいのちょい。エルフに襲われてもちょちょいのちょい」

 メロウはふたりを見て、恐る恐る切り出してみる。

「あのう。私、考えてることがあって。聞いてもらえますか」

「ふむ、言うと良い」

冒険者になりたい」

ドワーフとコビットは顔を見合わせた。

 

15、

 

 ブラークは領主ラドス・フォン・ハルト直々のお小言を聞かされて解放されたのち、二人分の荷物をまとめて〈剣竜亭〉へ向かう。メロウの荷を触って良いものか悩んだが、取りに戻るとまたひと悶着あるのではと危惧したので、あまりじろじろ見ないようにして鞄に詰め込んだ。

 そうして〈剣竜亭〉の扉をくぐると、何やら冒険者の人だかりが出来ている。その中心にいるのはメロウだ。

「いったい、これは……?」

 ブラークが目をぱちくりさせていると、すかさず〈剣竜亭〉の案内人が横に立つ。

「新人冒険者にアドバイスをしたいのですよ、皆様」

「は?」

「メロウ様が、冒険者になりたいと申されましてね」

「……待て。待て待て待てメロウ殿、早まるな!」

「書類は受領しましたので問題ございませんよ」

「そういう問題ではない! メロウ殿」

 つかつかと歩み寄ると人の輪が崩れた。

「お帰りブラーク」

いたずらっ子のような顔で目をきらきらと輝かせてメロウが笑う。

冒険者になるというのは」

「本当だけど」

「それは、勧めないぞ私は絶対に」

「この騎士くんはメロウちゃんの何なわけ? 彼氏なの? 彼氏面してるだけ?」

 メロウに奇抜なデザインの兜を被せようとしていたコビットが茶々を入れた。ブラークは言葉に詰まって真っ赤になり、

「かっ、彼氏でも彼氏面でもない!」

ドワーフはやれやれと頭を振る。

「それに取り合わんでよろしい。しかしまあ、天晴れな娘の思いを聞くべきであろうが、騎士よ」

「ドムリ殿……」

 コビットの手をそっと避けて、メロウは言った。ブラークの目を真正面から見つめる。

「あのね、ブラーク。私はお母さんを探すことを諦めない。そのために強くなりたい。ブラークに頼らなくても世界を渡れるくらいに。後悔したくないんだ」

 ブラークはゆっくりと息を吸って、吐いて、答えた。

「私に、メロウ殿のその決断を否定する権利はない」

周りを囲んだ冒険者たちから雨あられと拍手と口笛が降ってくる。コビットがメロウの背中をぱんと叩いて、

「良かったね、メロちん」

「つきましては、ブラークにお願いがあります」

「うん?」

「弟子入りさせて」

「な………………何だって!?」

「一番弟子ね。まずはお母さんのツルハシを武器にするとこからはじめてさ、その後は片手剣とか、ねえブラーク聞いてる? 何で頭抱えてるの? だって一番強い人から教わるのが一番じゃない? あっ」

 そこで現実に追いつけなくなったブラークは床に大の字に倒れて気絶した。だが現実は彼に追いついており、逃げもしなかった。目覚めたときに待っていたのは、ほくほく顔のドワーフとコビットからの祝福である。

「あの娘は良い戦士になるだろう。ドワーフのように困難を恐れない戦士にだ。それに」

 ドムリはいかつい顔に笑みを浮かべて言った。

「ロング・ナリクの騎士は、困難から逃げないものであろう?」

 

 そのようにして騎士ブラーク・オ・リエンスは翌日パン粥の世話になり、新米冒険者メロウ・ディレンとの旅を新たに始めることになるのである。

 

(完)

 

 

 お読みいただきありがとうございました!

 愛のあまりにシナリオ完結からさらに先の物語を書き綴ってしまいましたが、お楽しみいただけましたら幸いです。

 なお今回の物語に登場する諸々のなかには、いちファンである作者の妄想による光景もございます。例えばサン・サレンの市場やエルフの難民区画の詳細についてなどがその最たるものですが、公式の設定ではない部分がございますことをご容赦ください。

 

 怪物狩猟者については、公式Wikiを参考にしております。【捕獲網】や【乱打】の技能持ちで中級以上の冒険者、主人公たちより格上の敵を相手にするというイメージで書いてみました。

ftbooks.xyz

 

 さて、物語の終わりに書いたようにふたりの旅はまだまだ続きます。次はどんなシナリオに挑むのか、プレイヤーとしても楽しみです。

 またふたりの道を一緒に見守っていただけましたら、これ以上に嬉しいことはございません。

 

 最後に、シナリオやリプレイではございませんが、ローグライクハーフの派生作品としてロゴを掲示させていただき、お別れのご挨拶とさせていただきます。

 皆様、良きローグライクハーフを!

 

 

たとえ愚かでも、その足跡が続くなら(2)

 

5、

 

 ブラークは目指す場所の位置を正確に把握しているらしい。迷いのない歩調で市場をさらに奥へと進んでいく。

 入口から遠ざかるにつれ道は細くなり、店構えは少々みすぼらしくなり、品物は日常生活から掛け離れた分野のものへと色合いを変えた。いくつかは冒険者向けの道具屋や、秘術につかう材料を扱う魔女の店であったりする。

 メロウは恐怖を忘れて夢中になった。

「あっ、ねえブラーク、すごく立派な毛皮のマント」

「──ああ」

「寄り道しても?」

「喜んで」

 テント状のその店には様々な獣の毛皮が展示されていた。メロウの目を引いたのは、熊に似た獣の毛皮である。毛足が長く、頭や手足の皮まで余さず綺麗に剥がれていた。

 メロウの知らない生き物だから、きっとスウォードヘイル山脈にはいないのだろう。

 防寒着として向くかどうかは何とも言えなかった。が、ブラークがずっとここにいる訳では無いのだ、という事に思い至って、メロウの胸にじんわりと鈍痛が広がる。いつかは別れて、それぞれの道へ進まなくてはならない。もしかしたらそれは明日かもしれない。

「お目が高い」

と商人が揉み手しながら出てきた。

「これは珍しい獣ですからね。サン・サレンで扱ってるのはうちの店だけですよ。お兄さんもどうですか、似合うと思うんですがね。試着はタダですし、採寸もすぐに終わりますから」

「それは是非」

とブラークが言った。そんなに乗り気だとは考えていなかったので、メロウの方が意表を突かれてしまう。売り言葉に買い言葉で「検討する」と言っただけだと思っていた。

「そんなに?」

「良い毛皮だよ。店主殿にも教わりたい事がある」

 ブラークはにっこり笑うと、毛皮屋の手の中に金貨を落とす。

 あんぐりと口を開けた店主とブラークが店の奥へ入っている間、メロウは近くの店からの出前で届いた(店主がどうやって注文したのか分からなかったが、何かしらの合図があるのだろう)スパイスたっぷりのミルクティーをちびちび舐めながら店先に座って待った。分厚い毛皮は吸音材として働き、メロウの良い耳にもふたりが何を話しているのかは聞こえない。諦めて怪しげな商店街を眺めていると、一頭分の毛皮を両手に抱えたブラークが出てきた。あまり時間はかからなかったものの、その後ろに控えている商店主はあからさまに怯えている。

「何を、してたの?」

 メロウが二人の男に代わる代わる目をやって問うと、ブラークは微笑んで、

「その話はここでは出来ない性質のものでね、申し訳ないが秘密にすることをお許しいただきたい」

と馬鹿丁寧に答えた。その目が笑っていなかったので、メロウは肩をすくめただけで、それ以上追求しない事にする。

 厄介事に首を突っ込んで喜ぶのは愚か者であると、母から耳にタコが出来るほど言い聞かされていたからだ。とはいえそれも、メロウが厄介事に首を突っ込みやすく、厄介事を生産しやすい性質だと良く知っていたからかもしれないと、今になって思い至る。

「さあレディ、せめて日が暮れる前に」

とブラークは促した。

 メロウはお茶の例を言って、不思議な獣の毛皮とブラークの腕の間に手を滑り込ませる。そこにはブラークにしか分からない熱が篭っているようだった。

 

6、

 

 市場の端に出ると、そこはサン・サレンの領主館の辺りとはまったく趣が異なっていた。まず家が石造りではない。かと言って丸太を組み上げた丈夫な家でもない。メロウの目から見ても貧相な板張りの家だ。これでは真冬の寒さが凌げないであろう。しかもやや傾いている。屋根に積もった雪の重みで骨折しそうなのだ。それが何軒も並んでいる。

「エルフの家」

メロウに耳に口を寄せて、ブラークは囁いた。

「ここはまだ裕福な家庭だろう」

「嘘でしょ」

 足を止めた二人組を剣呑な目でじろりと見て、背の曲がった老婆が追い越していく。 

 あの人もエルフだとメロウは気づいた。

 咄嗟に声を掛けようとして躊躇う。老婆が、食堂で会ったあの恐ろしいエルフと似たり寄ったりの眼差しをしていたからだ。

「街門の内側に住むエルフは優遇されている方だ。後からやってきた難民は街門の外側で悲惨な生活をしていると聞く。申し訳ないがレディ、せめて門の内側までにしていただきたい。外側は余所者が気軽に踏み込んではいけない場所だ。私の腕だけでは君を護れない」

 メロウは小さく頷いた。だが門の前までは行かなければならない。いつまでも世間知らずでいたくなかった。

 ブラークに迷惑をかける事について、またもう一度悔しさを感じる。私が護られる存在でなければ良いのに、と。

 メロウが足を前に出すと、それだけで首筋にひやりと張り付く悪意を感じた。ブラークの腕の中からそっと手を引き抜く。すぐに動けるようにしなくてはならないという切迫した思いがある。

「メロウ殿」

「門までは遠いの?」

「さほどは」

 メロウは歯を食いしばって歩いていた。

 市場から遠ざかるにつれ、確かに家の造りの粗雑さが増していく。割れた板切れの壁で囲まれた家は空き家なのだろうと思っていたら、中からひとの声が聞こえて驚いたりもした。後ろからつけてくる足音もする。山で獲物を追いかけていたメロウには、尾行していることを隠しもしないのに驚いた。

「あそこだ」

 我慢できず後ろを振り向こうとしたメロウの肩を軽く叩いて、ブラークが注意を促す。

 それが門であるとは、メロウには一目見ただけでは理解できなかった。じっと観察して、家の合間に確かに門があることが分かる。もともと石造りの小街門であったところに、雨後のキノコよろしく家が付着しているのだ。

 その異様な家々は、メロウの心を決定的に折った。自分の常識と明らかにかけ離れているものを同族が造って良しとした、その感性は母の在り様とは天と地ほども違う。

「わかったね」

 ブラークが言い、メロウが同意のため彼を見上げようとしたその時、視界の何かがメロウに警報を発した。それは狩人の目だから認識できたものであっただろう。

「首!」

 メロウが叫ぶのと、ブラークの首に猟師が罠に使う細糸が絡みつくのはほとんど同時だった。

 驚いた顔のままブラークの体が糸に吊られて浮き、殺生鳥のように高速で宙を舞って頭から家に激突し、その穴だらけの板を突き破って内側へ転がっていくまでの行程は、ほんの一瞬のうちに終わる。悲鳴は無かった。首が締まったからだ。そうやって母娘で狩りをしたことがあるから、メロウは良く知っている。

 腰のベルトに下げていたナイフを抜いて極細の糸を切った。ブラークが剣を佩いて来たのを真似して良かったと思うが、間に合ったかどうかは定かではない。獣と同じように首が締まっていれば、速やかに死が訪れている。

「出て来なさい」

 メロウは糸の出所を目で追いつつナイフを構えた。設置型の罠に似せてあるが、ピンポイントで首を狙えたのは人が操っているから。

「そのナイフで俺を刺せると思っているか?」

 じゃり、と路地に転がった得体のしれない瓦礫を踏んで、男が出てきた。背に大剣を負っているが、抜こうともしていない。メロウが突きかかってきたところで脅威になるはずが無いという確信によるものだろう。

 それはメロウ自身がいちばん知っていた。何より、男の顔を知っていたから。

「領主の前でブラークに負けたやつ」

「その、双子の弟だ」

男は無精ひげの生えた顎をさすって言った。

「兄貴の首を折った野郎には、当然の報いだろ」

「ぜんぜん当然じゃない」

「そうかい。じゃあ好きにしな」

 最後の一言はメロウに向けたものではなかった。

 うなじに生温かい息がかかり、ぞわりと鳥肌が立つ。弾かれたように振り向き、反射的にナイフを振ろうとしたが、それよりも速くみぞおちに拳が入っていた。

 メロウがその場面で最後に覚えているのは、エルフの顔。食堂で会ったエルフの男の、底なしの闇のような目。

 

7、

 

 どれだけ意識を失っていたのか、ブラークには分からなかった。辺りは暗い。鼻先でネズミが走っていったので目はまだ見えることが分かった。確か、首を折られかけたはずだ。

「メロウ殿」

 名を呼んだが、そこにいるはずもない。何という失態だろう。騎士たるものが油断をした。護らねばならない相手を窮地に追いやるなどと!

 起き上がろうとしたが、その動きで首が締まった。うつぶせの状態に戻って首元を引っ掻き、信じられないほど細い糸を探り当てる。

 見事に仕上げられた糸から相手の正体は分かった。怪物狩猟者、危険生物を相手に渡り合うことを生業とする者。闘技の最後に挑んできた男も同業だろう。

 糸を外して立ち上がった。手足を縛られていないところからすると、怪物狩猟者はこちらを仕留めたと確信して捨て置いたのだろう。

 手先から、先ほど買ったばかりの毛皮の端が千切れて落ちる。メロウの警告で瞬時に首元へ滑り込ませた。故郷で触り慣れた毛並みは指に馴染み、その獣に守られたことに驚きもする。毛皮がなければ、確実に息の根が止まっていた。

 因果なものだとブラークは思う。この毛皮はブラークの故郷ロング・ナリクからの密輸品だった。ブラークの生家リエンス家はこの毛皮の「主」を保護する役も担っている。問い詰められた店主があの怪物狩猟者を雇ったという線は大いにありそうだ。

 しかし今はメロウのことを考えなくては。

 手は動く。指先の感覚は正常だ。足も折れていない。思考は清澄。

「待つんだね」

 暗がりから投げられた女の声に、大股で部屋を横切ろうとしたブラークは足を止めた。気配が感じられないことに戸惑う。手練れだ。

「どなたか」

 明かりが灯った。と言っても、小さなろうそくの明かりに過ぎない。だがそのかそけき光に照らされた顔にブラークは息を飲んだ。

「御母堂様(ごぼどうさま)か」

 ふふ、と女性が笑うと、その表情も声もメロウによく似ている。

「そんなに丁寧に呼ばれるのは初めてだよ。だが外れだ。御母堂様ではない」

「では」

「縁者だと思えばいいさ。そこに意味は無いんだから」

「あるだろう。少なくともメロウ殿には」

 ブラークは拳を握った。

「メロウ殿は無事なのか」

 女性の顔に浮かんだのは笑みだったのかどうか。返答に少し間が開く。

「無事だよ、今のところはね。だが——、待ちなさい」

 寸時の間も惜しんでブラークは飛び出していきたかった。

「お前が独り吶喊(とっかん)したところで、あの子の元には辿り着けないよ。能無し共が増やした家とはいえ、ここのエルフにとっちゃあ森だ。森の中でエルフ相手に探し物が出来ると思っているかい」

「成すだけだ」

 女性がろうそくに息を吹きかける。真なる闇の中、ブラークは愛剣を抜き放って予想外の方向から降ってきた斬撃を受けた。

「ふうん」

 右から左から上から下から、あらゆる方向から刃が襲ってくる。そこに殺気は無く、無いからこそ読めないはずなのだが、ブラークは見事にいなし続けた。

 自分を真夜中のかずら森の中に放置した父親のことも、今この瞬間に限定するなら有難く思える。あとは闇に紛れて私刑に処そうとした諸先輩方による荒っぽい叱咤激励についても。

「戯れはおやめいただきたい!」

「まあ、合格としておくか」

 言葉を発するという隙に捻じ込まれた刃が、ブラークの首元で光っていた。

「筋がいいのは分かったよ。とはいえ、まだまだだ」

「そんなことは良く知っている」

 息が上がっている。領主館での戯れより、よほど厳しい立ち合いだった。あの十九人が束になったところで、一撃も受けることなくこのエルフは喉を掻き切ってしまうだろう。

 メロウは、母メヴが戦士であったと言っていた。もしこのエルフと同僚なのであれば、その技量のほどは推して知るべし。

「お前は何故メロウを構おうとする」

「困っていたから。貴女の仲間であるところの御母堂の後を追って、みすみす死にに行こうとしたからだ」

「それで?」

「それだけだ」

イカレてる。理想論を吐いて倒れるのが好きな系統だな」

「私には、貴女のような技量を持った人がこの苦境を座して見ている方が、イカレていると思われるのだが」

 鋭い平手がブラークの頬を打った。

「お前には分からない」

 ブラークは口中に溢れた血を飲み下して言う。

「分かったら恐ろしいだろう」

 乾いた笑いが部屋の中を跳ね回った。こんなことをしている余裕はない、とブラークは思う。刻一刻とメロウを救える機会が失われていくのだ。

「あの子は当分、死なないよ。あれらも五体満足なメヴの娘を切り刻むほどの阿呆ではない」

「何処かに監禁されるというわけだ」

「そういうわけだ、麗しの騎士様。もしも娘に何かあってメヴが本気で報復に出た場合はサン・サレンごとぶっ壊すよ、あの女はね。イカレてるからさ。だから愚連隊どもに出来ることといえば、何処かの物好きに売り払うってことだね。値段はつくかな。半分エルフ、半分人間の山育ちの娘、ああ顔だけは良さそうな騎士様、もう手を出したりした?」

 ブラークは女性の声がする方向に思い切り剣を叩きつけた。脆い家の木壁が砕け散って穴が開き、月明かりが射しこむ。風に乗って、憐れむような笑いがブラークの周りで渦を巻いた。

「明日の夕に人買いが来る。そこが刻限だ」

「まて、名をお伺いしていない。私はブラーク・オ・リエンス。貴女は……」

「自分の名と私の名とでつり合いが取れるとでも? 傲慢な人間だね、大嫌いだ」

 それだけ言うと、ただでさえ微かだった襲撃者の気配はまったくの無になり、ブラークはがっくりと肩を落とした。

 何と情けない騎士であろうか。それもこれも自分の咎(とが)だと思った。ブラークが誰も挑発することなく、もっと賢く動くことが出来たなら、メロウが危険に晒されることはなかったはずなのだから。

 重い体を引きずり路地に出ると、何処かから飛んできた生卵が後頭部で炸裂する。ブラークは振り返ることもせず、敗北感を噛みしめて難民区画を後にした。

 

8、

 

 翌朝、ブラークは領主館のベッドとは別の寝床で目を覚ます。冒険者向けの〈剣竜亭〉に一晩だけ宿を取った。

 前面では額が割れて顔が血まみれ、背面には生卵が垂れていたが、エルフの難民区画へ行っていたという説明だけで部屋を借りられたのは有難いことである。騎士の鎧を着用していなかったのが幸いしたのか、あるいは真夜中に〈剣竜亭〉に駆け込む冒険者としては良くある状態なのかもしれない。

 寝る前に気力を振り絞って頭は洗ったが、目覚めてみれば全身が生臭くて閉口した。法外な追加料金を払って湯あみをさせてもらい、毛皮を預け、たっぷりと朝食を取る。冷静になる必要があった。

 〈剣竜亭〉のホールは朝早くから夜遅くまで冒険者たちが詰めており、賑わいの絶えることがない。孤独も使命のうちである遍歴の騎士には、その賑やかさが好ましく、またまばゆく思われた。

 少し様子を見てから、ひとりの冒険者に目をとめて話しかける。

「御仁。教えていただきたいことがあるのだが、よろしいだろうか」

 相手に選んだのはドワーフの男だ。ブラークのことを頭のてっぺんから爪先まで疑い深そうな目で検分し、自身の前に置かれたジョッキを無言で指さした。ブラークは手を上げて給仕を呼ぶと、

「同じものを二杯」

と言う。

「人間が何の用だ」

 雄牛が唸るようなその語勢を、ブラークは美しく感じた。

「昨日、市場の食堂で騒ぎが起こったのはご存知だろう」

「いいや」

「ご存知のはずだ。あなたは私の目の前にいたのだから」

「くどい」

「ならば単刀直入に伺おう。あのエルフは何者だ」

「お前に答える義理は無い」

 どすん、と音を立ててジョッキが置かれた。

 驚いたことにジョッキを運んできたのはコビットの女性で、両手に抱えて来たジョッキは彼女の身長の半分くらいはあっただろう。それを頭よりも高々と掲げてテーブルの上に置くものだから、どうにも危なっかしい。

ドムドム、困らせちゃだめだよ」

「誰がドムドムだ! わしゃドムリだぞ」

ドムドムでもムリムリでも何でもいいじゃんか。お兄さんは何を聞きたいの?」

「かたじけない、レディ。この街のエルフの話を」

 ひゅうとコビットは口笛を吹き、ブラークの横の椅子によじ登った。

「ドムちん聞いた? 今時レディだってさ。れ・い・でぃ!」

「こいつは騎士だ」

「そうなの?」

「恥ずかしながら」

 コビットの女性は何ひとつ断りを入れず、ブラークの麦酒を両手で抱えて飲んだ。もう酔っているのかもしれない。

「あれはケルヴァンという」

毒気を抜かれた様子で、溜息まじりにドムリが言った。

「ハルトの犬だ。領主が後ろ指をさせば、あのろくでなしが背後から刺す。さもなくばエルフの巣に連れ帰る」

そこでドワーフの目がぎらりと光る。

「娘がさらわれたのか」

「人買いの手に渡される前に救いたい」

「悪いが手助けは出来んぞ」

「ああ、独りで行く。私の責任だから。有難う」

 席を立とうとしたブラークを、ドムリが押しとどめた。コビットの方は相変わらずジョッキと仲良くしている。

「ひとつ情報をくれてやる。人身売買が行われるのは難民区画の広場だ。腐れエルフは隠れもせんと商品を展示して売りさばいとるそうだがな、ただ買われた奴の行方は、そこから分からんくなる。あの腐れた家の中を通って何処かへ隠れるからだ。少なくとも広場は門塔の上から見えると聞いた」

ブラークは頭を下げた。

「気を付けろ」

 

 

「ドムっち」

立ち去る騎士の細い背中を酒の肴に、コビットが言った。

「助けなくていいの?」

「うむ」

ドワーフが唸った。

「注意力散漫だよ、かなーり」

コビットは酒を飲み干すと、卓の上にジョッキをひっくり返した。そこから金貨がじゃらじゃらと音を立てて積み上がったので、ギムリは仰天してしまったのである。

「お前これは何だ」

「今の今、あの立派な騎士からスったの」

「返さんか!」

いきり立つギムリの前で、コビットは指を振って見せた。

「あなたスられましたよって? コビットが巾着に近づいても気付かなかったでしょって言うわけ? あたしならもっと有意義な使い方をするね。つまり、あたしら二人分の契約金に」

ドワーフは唸って、腕を組む。気難しげな顔はしかし、輝いている。

「苦難に立ち向かい打ち砕くのがドワーフの性だってなら、今でしょ。少しだけ恩を売っとくのも悪くないし。あれ、出世するよ。生きてれば」

 

9、

 

 焦れるような時間が過ぎる。

 昼過ぎにブラークは〈剣竜亭〉を発って、市場へ向かった。毛皮は〈剣竜亭〉に預けてある。また吹っ掛けられたが仕方ない。冒険者では無いと、お喋りなコビットの口からあっという間に知れ渡ったのだ。

 頭の中ではいくつかの作戦を練っていたが、いずれも最終的には「なるようにしかならない」運任せのものである。

 こんな時は至上の善なるセルウェー神の教会に参じたいものだが、生憎サン・サレンの教会は街の反対側だ。どうか見放されませんように、と胸中で祈りをささげるしかない。

 ブラークは屋台で揚げパンを買おうとして金貨を詰めた巾着に手を伸ばし、血の気が引いた。巾着は見事に切り裂かれており、十数枚詰めておいた金貨のうちで残っていたのは端に引っかかっていた一枚だけ。それでも残っていたのを幸運とすべきだろうか。

 よほど顔が青ざめていたのか、

「お兄さんどうしたの」

と揚げパン屋に心配される始末だった。

「いいや、問題ない」

 最後の金貨を揚げパン屋の、労働で分厚くなった手のひらに乗せる。

 救出のために考えていた策の九割方がこれで潰えた。この端金では冒険者が買い揃えるような品質の高い道具類は揃えられない。かと言って領主館へ取りに戻る訳にもいかなかった。あのエルフが領主ラドス・フォン・ハルトの後暗い部分を支えているのであれば、みすみす傷を増やしに行くようなものだ。

 ならばあとは身一つで何とかするしかあるまい。途方もない試みであった。

 しかしブラークの身体には、反骨心から湧き上がる熱がふつふつと巡り出している。怖いなどと思ってやるか、と騎士は普段に似合わぬやや乱暴な言葉を胸の内で呟いた。

 

 ブラークは昨日と道を変え、市場を横断する。端にたどり着くと迷うことなく街門の横に併設された塔へ進んで行った。

 入口はこの手の塔としても高いところに開いており、梯子が無ければ中へは入れそうにない。ブラークが朗々たる声で呼ばわると、寝ぼけ眼の塔番が顔を覗かせた。

「そちらに上がらせていただきたい!」

 よほど不用心なのか、それとも半ば打ち捨てられているのか。

 このように唐突な訪問であったにも関わらず、ブラークは誰何されることもなく、塔番は梯子代わりの縄を垂らして寄越した。

 登れまいとたかを括っていたのやもしれない。確かに見上げるほどの高さであるし、塔番が気まぐれに綱を揺らせば落ちて骨を折るだろう。

 しかし腹を括ったブラークにとっては何のこともない運動だった。ロング・ナリクで受けた地獄もかくやという鍛錬に比べれば、児戯にも等しい。小さな入口から、息も切らさず素早く塔に乗り込んだ。

「ご厚遇痛み入る」

 するすると縄を巻き上げながらブラークが言うと、塔番はやや恐れを抱いたようだった。腰の大剣にも目が行ったようである。

「私は何もあなたに害をなさんとしている訳でも、あなたの職務を汚そうとしている訳でもない。ただこの上からエルフの家々を見たいだけなのです。お許しいただけるだろうか。あなたが叱責を受けるようなことは、決して致しませんから」

 そうブラークが穏やかな声で礼儀正しく言うと、塔番はやや落ち着きを取り戻し、屋上への階段に続く扉の鍵を放って寄越した。ブラークは丁寧に宮廷風のお辞儀をする。 

 そして決然と扉を開いて階段を踏み上がり、風の吹きすさぶ屋上の、物見のための空間へ進んだのであった。

 そこから見下ろすエルフの難民が住む家々の姿は、荒涼として侘しい。白い雪を被った屋根の下には、無謀に建て増したせいで歪んだ家々が肩を寄せ合い、支え合うように並んでいる。

 復讐を企てる誇り高き女闘士メヴ・ディレンの潜伏先としてはこれ以上の場所はないだろう。しかし、ブラークは彼女はここにはいないであろうと踏んでいた。メヴがいるならば、メロウをさらう行為は不自然だ。話したいことがあれば娘と接触すればいい。加えて、わざわざ名無しのエルフ女がブラークに警告を発する必要もなかろう。

(ならば)

ブラークの胸の内側で、心の蔵が暴れ馬のように跳ねている。

(ならば、メロウ殿の味方は誰一人いないということになるまいか)

 名無しのエルフ女の態度は敵とは言えなかったが、味方であるとも過信は出来ない。ブラークは刺すような風の中、手袋の中で指を一本ずつ動かしていった。闘争の気配に手が震えないように。

たとえ愚かでも、その足跡が続くなら(1)

 

『たとえ愚かでも、その足跡が続くなら』

 

(注)

 こちらの小説はFT書房様より発表されているTRPGローグライクハーフの公式シナリオ『雪剣の頂 勇者の轍』の拙リプレイのその後を綴った物語です。ということで、リプレイそのものではございません。あくまでも主人公ふたりへの愛が抑えきれずに出力された小説です。

 また、ファンメイドの作品となりますことをご承知おきください。

 

 

基本ルールおよびシナリオはこちらで無料公開されています。

 

ftbooks.xyz

 

 

1、

 

 命懸けの群舞を見ているようだった。

 ひとつ足を踏み間違えれば忽ち首が飛ぶような類の、荒々しい振り付けの。

 メロウは故郷の村で、そのような踊りを見たことがあった。その年は冬が長引き餓死者が出そうだったから、山神様の御機嫌を取らねばならなかったのだと、母から聞かされている。

 それならば仕方ないかとメロウは思う。

 山神様の恐ろしさは、ついこの間、身に染みて教わったばかりなのだ。

 しかしサン・サレンの領主ラドス・フォン・ハルトの御機嫌取りで舞うのはお門違いのような気がする。

 ここは領主館。屋根のない闘技場だか、練兵場だか、メロウにはよく分からないのだが、そういう所に二十人程の戦士が集められて戦わされている。

 高く低く、鋼と魔法と木材と、あるいは肉と骨のぶつかり合う音が響く。

 メロウはその暴力的な舞の中心に立つ青年騎士を、祈るような気持ちで見つめていた。

 

 報せは、調停式の後ほどなく届いた。領主ハルトが雪剣を制した二人の勇者を謁見するから、二人とも明朝支度を整えて来るように。そう使者が広げた巻物に書かれた文章を読み上げるのを、メロウは何の感慨も覚えずに聞いた。

 メロウは領主になんの尊敬も抱いていない。

 村に領主の命令が届くことは稀だったし、隣国フーウェイからの侵入者を見張る絶好の位置にある村だったから、村から若者が兵隊に取られるようなことも無かった。放置することがサン・サレンのためになると計算されていたのである。ほとんど自給自足でやっている村が、中央の権威など有難がるわけもない。

 そんな訳でメロウは、偉そうな顔するなよと思って使者に凄んでみたりしたが、相手にされなかった。

 使者というか領主が気にしていたのは騎士ブラークだけ。異国の騎士に未踏峰の頂を踏まれたとあって悔しかったのだろう。

 それで難癖をつけようと呼び出したのだ。

 故に、難民エルフの小娘に用はない。

 その小娘でも分かるほどに分かりやすい態度の使者だったから、小娘はカチンと来たのである。

 メロウは口の横に手を当てて叫んだ。

「ブラーク頑張って! 負けたら承知しないから!」

 その声援に、朗らかに笑った黒髪の青年が手を振る。何をしているのか分かってないんじゃないか、という危惧をメロウに抱かせる微笑みであった。

「バカー! 手を振ってる場合じゃ……後ろー!」

 青年は後ろに目でも付いているのか、背後からのっぽのオークが振り下ろした斧をするりとかわし、お返しとばかりに相手の膝頭に回し蹴りを入れる。

 野太い悲鳴を上げたオークの手をすっぽ抜けた斧は、別の角度から槍を抱えてブラークに迫って来ていたトカゲ人の戦士に直撃し、哀れにも彼(か彼女)は胸を裂かれてばったりと倒れ、それっきりになった。血だまりがどくどくと床に広がっていく様子に、メロウの喉に朝食がこみ上げそうになる。

 また別の視点ではオークの陰から奇襲を試みようとしていたドワーフが、悲鳴を上げて崩れ落ちるオークの下敷きにされた。腹の下から這い出たドワーフはカンカンに怒り出して、体勢を立て直したオークと殴り合いを始める。もう青年のことは眼中にないようだ。

 メロウは膝頭に乗せた拳に、ぐっと力を入れる。

 誰が見たって一目瞭然なのだが、全員が全員ブラークを狙っていた。

 ブラーク以外は領主ハルトの手勢で、意地悪な領主が「生意気な騎士をコテンパンにしてやれ」と金貨をチラつかせて吹き込んだに違いない。

 彼らがぎらぎらした目でブラークを追う様は、ひどく浅ましかった。生まれも育ちも種族も違うはずなのに、みんな同じ顔をする。

 弱い者を踏みつける正当な理由が出来て、しかもお金がもらえるなら最高だと顔に書いてある。最低の顔だ。その顔をするやつこそが本当は弱いのだ。

 格好悪さに気づかないまま、こんな所で働いている大人達。

 大嫌いだと、メロウは思う。

 けれど、いじめられている方のブラークだけが、ただ一人なぜか平然としていた。

 踊るように刃を、拳を、爪を掻い潜る。その度に誰かが地べたに倒れて呻き声を上げていた。

 ブラークは変な奴だし怖さもある。雪剣で血塗れになった姿も見た。けれど、そっち側の味方でいたいなとメロウは願う。

 弱いものいじめを楽しむ奴らに守られるとか、最悪だから。

「ブラーク、あと三人!」

 メロウの横で立派な椅子の肘掛にガリガリと爪を立てて、領主ハルトが憤怒の息を漏らす。

「何をしている……」

 こいつが泣こうが喚こうが怒り狂おうが知った事じゃない、とメロウは密かに鼻で笑った。

 大剣遣いがブラークの前に飛び出る。

 得物は怪物狩猟に振り回すような、対人用とは思われぬほど巨大な剣だった。

 しかしメロウには信じられないほど速い。ブラークの眼前に到った時には、振り上げた刃は既に狙い澄ました軌道を辿り始めている。障害なく振り抜ける空間が確保できるまで、息を潜めていたのだろう。重く大振りな得物の欠点を補うため、相手の先手を撃てる千載一遇の機会。

 今、その辛抱が実を結ぼうとしていた。

 ここまで突っかかってきた奴らより一枚上手だ。

 メロウは息を飲む。

 刃の軌跡上にあるのは首。

 ブラークの、首。

「もらった!」

 その時、ブラークはメロウからすると信じられない行動に出る。

 自分の両手剣を手放したのだ。防御を捨て、素手で相手の懐に飛び込んでいく。

 ブラークは意表をつかれた大剣遣いの手首を掴むと、刃を振り抜く相手の力をそのまま利用して投げ飛ばした。

「うあああっ!?」

 重量級の大剣遣いは、その後ろに立っていた双子エルフの双剣遣いを巻き込んで壁に首から激突し、ひくりと痙攣して動かなくなる。

 何故エルフの双子が背後にいたかというと、ブラークの首をはねて達成感に浸る大剣遣いの隙だらけの首をはねて、金を独り占めしよういう魂胆だったのだろう。根性が悪い。

 だがこれで、立っているのはブラークだけ。

 息を整えたブラークは、洗練された騎士らしくサン・サレンの領主に対して優雅なお辞儀をする。

「ラドス・フォン・ハルト様。御満足いただけましたでしょうか?」

 頭を上げたブラークの額から、たらりと一筋、血が垂れた。

 

2、

 

 ふたりに割り当てられた領主館の離れの一室で、メロウは領主の悔しそうな顔を思い出してにやにやしている。

「上機嫌だな、メロウ殿」

 衝立を間仕切りにした向こう側から、ブラークの声がした。男女の接触について、実家が宿屋のメロウは過剰に気にすることもないが(だいたい旅先の男女は一緒の部屋に泊まるのだ)、ブラークの方は大いに気にする。最初は部屋に間仕切りもなくて、ブラークが急ぎ持ってこさせたのだ。騎士には色々と難しい約束事があるのかもしれない。

 布の擦れる音がするから、頭の傷に包帯を巻いているのだろう。最後の大剣遣いを投げ飛ばした時、実は相手の手甲に激突していたのだとか。その心配は考えないようにして、

「だってね、頭から湯気が出そうなくらい怒ってたんだよ。あんなに怒ってる人、初めて見たかも」

 そして堪らず、くすくす笑う。

 やっと緊張が抜けてきた感じがする。

 領主の青筋立てた顔と騎士ブラークの澄まし顔の鮮やかな対比は、メロウの記憶に焼き付いていた。

「もっと穏便に終われば良かったのだが。私の不徳の致すところだ」

「え、だって喧嘩売ってきたのは領主様でしょ?」

「私だよ」

 間仕切りの向こうで、とん、と床に足をつく音。ブラークの足音はエルフの基準からしても静かなので、メロウは妙な胸騒ぎを覚える。

「ブラーク、もしかして怒ってる?」

「うむ、メロウ殿には隠し事が出来ないらしい」

「私に怒ってる? 使者の人に文句言ったし。だったら」

とん。メロウの言葉が止まる。

「いや」

ブラークは言った。

「断じて違う。これは私が解かねばならぬ問題だからね」

「……そっちに行っていい?」

「乙女からの申し出としては最高の部類に当たる。受けなければ騎士の名が廃るであろうな。いや、見苦しいから片付ける。しばし待たれよ」

「やっぱり変なやつ……」

 ベットの縁に腰かけて、耳を澄ます。重い金属を動かす音がする。鎧だろう。鞘の中で剣が振動する音。衣擦れの音。でも足音は、しない。どうやら機嫌は直ったらしい。メロウに対して怒っている訳では無いということだ。

 安心する。

 自分が世間知らずだという事くらい理解していた。村を離れ、初めてサン・サレンで一番大きな街に来たこの旅のなかで、否応なしに分からされたと言うべきか。

 ブラークは旅慣れていた。領主と会った時だって堂々としていた。そういう場面に応じた適切な振る舞いが出来ない、ということをメロウは恥じつつあった。

 きっと失礼なことも沢山しただろう。とはいえ、領主については向こうも失礼だったからお互い様だと思うが。

「メロウ殿」

 呼ばれてベットからひょいと立ち上がる。板張りの床はささくれひとつなく磨き抜かれて、足の裏に心地よい。領主は嫌いだが、館は好きだ。ベットもふかふかだし。

メロウが衝立を回り込む前にブラークが言った。

「提案だが、外へ行くのはどうだろうか。街歩きの時間を取るのは?」

「いいのかな」

「外出禁止とは言われていない」

「へりくつ感がある」

「屁理屈も理屈のひとつ。すべての責は私のものだ。さ、行こう」

 部屋の大扉が開く音。メロウは慌ててフタコブ革のブーツに爪先を滑り込ませる。

 サン・サレンはもうすぐ春になろうとしている。故郷の村より随分と暖かく、メロウは驚いたものだ。平地人が雪剣を登りに来ては震えて帰っていくのも、以前は馬鹿にしていたが、今は仕方がないと思えるようになった。世界には知らないことが沢山ある。

 ブラークに追いつく。騎士は毛皮のマントに包まって、もこもこの輪郭になっている。鎧の上に重ねるためのマントだから、何もつけずに羽織るとちょっとだけ不格好だ。曲芸師からはぐれた子熊が歩いているようにも見えて、メロウは思わず笑ってしまう。

「如何した、メロウ殿」

「ううん何でも。それより賞金持ってきた? 私、ブラークは毛皮のマントを新調してもいいと思うんだけどな!」

ふむ、と思案顔でマントを摘んだブラークは、考えておこうと言った。

「乙女の助言であれば、有難く」

 

3、

 

 サン・サレンの街は晴れて清々しい。

 雪は積もっているが、雪山に慣れたメロウには歩きにくいほどではない。

 領主館にほど近い中央広場から南北に大通りが敷かれている。北はサン・サレンの主要産物ドルツ石の採掘場まで続いているのだそうだ。中央広場でひときわ賑やかなのが冒険者御用達の<剣竜亭>。そこから南は庶民的な店が並び、路地に入れば市場がある。メロウの興味を引くのはもっぱらこちらだ。

 故郷の村にあったのは村人相手の雑貨屋が一軒。あと商売をしているのはメロウの実家の宿屋だけだった。様々な職種の店が軒を連ねている光景は、メロウの心を言いようもなく弾ませる。

「ねえブラーク凄いね、全部見て回りたい」

「仰せのままに、レディ。しかしまずは腹ごしらえをしよう」

 確かに良い匂いがした。故郷の匂いとは違う。

 意気揚々と市場に向かったが、いざ人混みに入るとメロウは気後れした。

 こんなに人がぎゅうぎゅう肩を寄せあって行き来する場所は、初めて歩く。ひとつ山下の村に市が立つ時だって、こんなにも密集した人の群れにはならない。人ばかりか石造りの建物に囲まれているのも気持ちを掻き乱す。どうやって進めばいいのか見当もつかなかった。

 マントの上からブラークの腕を掴もうとすると、

「これはこれはご無礼を」

ブラークはさっとマントから腕を差し出し、メロウは困惑気味に自分の腕を絡ませまた。

エスコートを忘れるとは、迂闊にも程があろうと言うもの。お許しください、レディ」

「これ、慣れなくちゃいけないんだよね」

「御母上を探すのであれば。怖いかな?」

「……全然」

メロウは自分に言い聞かせた。

「全然。大丈夫だから、先、行こ」

 かたわらの騎士がにこっと笑ったのが、顔を見上げなくてもわかる。

 エスコートする腕に少しだけ力が入り、その筋肉の動きにメロウはどきっとした。ブラークにこれ程近づいたのは雪剣での冒険以来。あの時は鎧と手袋越しだった。調停式の時も横にいてくれたが、緊張し過ぎてよく覚えていない。

「では、いざ。私は揚げパンが好きだが、メロウ殿は如何であろうか」

 メロウの当惑をよそに、ブラークは跳ねるような足取りで歩き始めた。

 初めて冬を越した毛長牛の仔が、春を迎えて浮き足立ったときの態度に良く似ている。あっちの草からこっちの花へ、縦横無尽に鼻を突っ込みたがるから、綱を取るのに苦労するのだ。

 ならば、そう、ブラークの事は牛だと思うことにする。歩いて喋る力の強い牛。牛の世話をするのだと考えておけば、緊張のしようがない。

 市場は雑然としていて、方々で売り子が張り上げる大声が石の壁にわんわん響いている。最初は耳を塞ぎたくもあったが、慣れてしまえば面白い。ものを売るだけではなく、大人が真剣な顔でサイコロを振っている店もあった。何かとブラークに尋ねると一言、

「賭博」

と答える。

 中程でブラークはまた道を折れた。すると、大きな食堂があった。

 食堂といってもひとつの店ではない。天井の高いホールの壁際にいくつも店が並び、注文を取っている。客は好きな店を選んで食事を買って、ホール中央に何列も並ぶ長い長いテーブル席へ持って行って食べるのだ。外の風は遮られているからとても暖かく、寛げる雰囲気である。

「面白ーい!」

 メロウは目を輝かせ、爪先立って店を見渡す。地元サン・サレンの店もあれば、隣国ビストフの料理を出す店もある。

「ねえブラーク、ベビー・クラーケンって何? あの妙ちくりんな十本腕の絵? 丸焼き美味しいの? ビストフの人、本当にあんなの食べる?」

「ふふ、見て回ろうか」

「うん!」

 そうしてふたりは食堂の店を隅から隅まで見て回った。件のベビー・クラーケンは、実物を眺めるとメロウの想像の及ぶような生き物ではなく、おおよそ美味しそうとも思われなくて、ブラークが買ってあげようかと気を遣ってくれたが断っておく。

「まあ、些か刺激の強い見た目だからね」

「海にはあんなのが、うじゃうじゃいるの?」

「ビストフでは良く料理に出てくるから、うん、沢山いるんだろう。おっ、フルーツケーキだぞメロウ殿。買っていいかな」

「好きにしたらいいじゃん」

 ふんふんと鼻歌まじりにブラークは手のひら大にカットされたフルーツケーキをみっつ買い、メロウにひとつ渡してくれた。

 ケーキの上に砂糖が冠雪した山のように白くかかっていて、とってもお洒落。歯を立てると砂糖が崩れてしゃくっと鳴った。美味しい。食べながら次の店を見る。その次も見る。あれもこれも食べたくなって、串焼き、唐辛子と芋のシチュー、炒め飯、果物のシロップを使った甘い飲み物まで買って、長机の向かい合わせに座ると、ふたりとも夢中で口の中に放り込んだ。

 どれもこれも美味しい。村とは違う味付けで、もっと早く知っていたらなとメロウは悔しくもなった。旅人たちから、宿で出る食事は田舎風で素朴な味とか言われて腹を立てた時もあったが、今なら納得出来る。確かに素朴な──単純な味付けであったことだろう。ここに、お母さんがいたら、きっとメニューを持ち帰って、もう二度と田舎の料理とか言わせなかっただろうに……。

 そう思うと、急に悲しくなった。手が止まったメロウを心配そうにブラークが覗き込む。

「メロウ殿、腹痛でも?」

「ううん。お母さん今頃どうしてるのかな、って考えちゃっただけ。……ねえブラーク、真面目な話以外の話がしたい」

「そうだな」

ブラークはゆっくり周囲に視線を巡らせた。

「ブラークは、色んな国を回ってるんでしょ」

「騎士の修行でね」

「それ、普通なの? うちの村に騎士が来たの、初めてだったよ」

「侮辱と取られかねないから内緒にして頂きたいものだが、一人前と認められるために私は他の騎士より厳しい条件を課せられているとは思う。大陸全土を巡らねば、聖ならない」

「どうして」

「生まれの問題だな。私の父は森番で、幸運に恵まれて富豪になった者。つまり私は騎士として血統の裏付けを欠く。それは富に左右されるものではないからね」

「ふうん。だから、いじめられてたの」

 ブラークの目が丸くなった。いつもの笑顔にひびが入ったようで、メロウは慌てて続ける。

「今朝の戦いの時そうなんじゃないかと思って。悪口じゃなくて、凄いって言いたいだけだよ」

「ふむ」

 必死にメロウは言葉を重ねた。自分の一言を挽回したいと心から願っている。

「ブラーク、沢山の人に囲まれてもどうしたらいいか分かってるみたいだから、その、そう、毛長牛でもそういうことがあるから。でもね、そういう毛長牛が最後には一番強い群れの長になるんだよ!」

 するとブラークはにこやかな笑顔を取り戻して、

「やはりメロウ殿に隠し事は出来ないなあ」

などとのんびりと言うのであった。

「従騎士の頃は、ああやって良く先輩方にボコボコにされていたものだよ」

「ふるさとに帰ったらやり返してやれば?」

ブラークは首を横に振る。

「それで溜飲を下げるのはつまらない。見返す事が快感であるうちは、彼らと同程度の下劣さから抜け出していない証左であると、私は思うのだ」

「……ブラークってさあ、たまーーーにエグいことを言うよね。良いけど」

朗らかに笑ったブラークの顔をまじまじと眺めながら、メロウは串焼きの最後の一本に齧り付いた。

 

4、

 

「さて」

「うああ、信じられないくらい食べた食~べ~た~」

「ああレディ、お腹を叩くのはお控え下さいませ」

「うるさ~いっ!」

「はっはっは! うるさいと言えばね、そう……」

 ブラークは目にも止まらぬ速さで真後ろに座っていた見知らぬ男の襟首を掴み、引き寄せると、鼻から机の天板に押し付けた。相手に悲鳴すら上げさせない、荒事に手馴れた速度である。

 顔を寄せてブラークは静かに言った。

「君、私たちが領主館を出てから尾行しているな。用があるなら今ここで済ませろ。領主の手の者でないのは分かる。難民だな」

 傍から見れば、仲の良い血気盛んな冒険者がじゃれあっている光景に映るはずだ。

 ブラークに引っ張られた男は力づくで首を上げようともがく。薄汚れた金髪のエルフだった。ブラークは机に再びエルフの男を押し付ける。

「離せ」

「穏便に済ませろと言っている。忠告だ。次は鼻を折る」

「俺は、ディレンの娘を見に来ただけだ」

「お母さんのことを……」

薄汚れたエルフは、だらしなく笑った。

「お母さん、ねえ」

 歯が何本も欠けている。母が常にメロウに言い聞かせたエルフの矜恃というものが、この見知らぬ男には一欠片も宿っていないのだと知れた。

 背筋が寒くなる。東の森の末裔。こんな男が。こんな風にだらしなくて、恐ろしくて。お母さんは、こんなものを守るために出ていったのか?

 それでもメロウは問わずにいられない。

「お母さんの事を知っているなら教えて、お母さんは無事? それだけでもいいから……」

「さあて、どうだろうな。俺は知らんが、他の奴らは知ってるかも」

「用事はそれだけか」

ブラークの声は、雪剣から吹き降ろす風のように冷たかった。

「は、お前に何の関係がある」

 片手一本で軽々と、ブラークは男を床に向かって投げ飛ばす。

 投げられた男は、そこだけはエルフらしい俊敏さで身体を捻り、四つ足の獣じみた着地をした。両手足を床に付けたまま、光の鈍い目でメロウをじっとりと眺めるその視線は得体が知れず、狡猾さの色を濃厚に纏っている。

 メロウは思わず腰の小刀を探っていた。

「我が連れ合いに手を出さば、その首、胴より離れると心得よ」

 ブラークが立ち上がる。マントの下で既に剣は鞘から払われていた。

「騎士ブラーク・オ・リエンスがそのように誓約する。命ある限り違えぬぞ。疾く、去れ!」

 エルフは立ち上がるとブラークの足に向かって唾を吐く。ブラークは平然と立っている。

「その顔覚えたぞ、くそ・ブラーク・オ・リエンス。くくく、ははははは!」

 エルフは素早く向きを変えると、周りに集まってきた野次馬を突き倒し、哄笑と共に走り去った。辺りは騒然とし、エルフ男を捕まえに何人かの冒険者か兵士らしき人影が走って行く。

 野次馬が解散するのを待って、ブラークがいつもより低い声で言った。

「メロウ殿、大丈夫か」

「え、うん」

 声をかけられた途端にメロウは体の震えが止まらなくなった。ブラークが肩に手を置き、耳元で言う。

「帰ろう。まだ市場を見て回る機会はある。私も次は警戒を怠らぬと約束するから」

しかしメロウの口から出たのは、

「まだ帰らない」

という答えであった。

 ブラークが気遣わしげな顔になり、メロウは自分で自分の返答の意外さに戸惑う。帰りたいと言うつもりだったのだ。正反対のことを言ってしまったのは、つまるところ、それが本心だからだろう。

 メロウは大きく呼吸をして自分を落ち着かせ、言った。

「エルフの……難民区画、だっけ。そこを見るまで帰れないよ。ブラーク、私は自分の目で納得したいの。さっきのエルフみたいなのがいるんだろうなって分かってるし、怖いけど、でもお母さんの手がかりがあるのなら……」

 メロウの説明は尻すぼみになる。ブラークは無言のまま、ゆっくりと拳を閉じたり開いたりした。

 口ではなくそちらを動かしたことに、彼の葛藤が現れている気がして、メロウはまたこの騎士を困らせている自分に情けなさを覚える。

 もし、危険な場所に立ち入っても、そこで起こるトラブルを独りで切り抜ける自信が持てるほど強い戦士であったなら、ブラークが悩む必要など何一つ無いのだ。

 やがて騎士は重々しく口を開いて、

「ならば私も一緒に参りましょう、レディ」

「巻き込まれなくていいのに」

 ブラークは、

「家族の秘密など、少ない方が良いのだ」

ほとんど独白のように言って、メロウに手を差し出した。

一日一歩のローグライクハーフ2/㉚登場人物まとめ

『混沌迷宮の試練』の物語は閉じましたが、アランツァ世界で生きる彼ら彼女らの物語はまだまだ続いていく事でしょう。そんなわけで、今回のリプレイに登場したオリジナルキャラクターの皆様の紹介です。

[オリジナルキャラクターたち]

様々な人物が登場しましたが、拙リプレイの完全なオリジナルは以下の通りです。

  • ソール・オ・リエンス
  • リヴァーティア・イランド
  • 白い鳥人の商人隊長
  • スネージの長の息子
  • 縞蛇
  • 火吹き獣ひーちゃん
  • 樽割りのホッコ

その内、ビジュアルを紹介した上から五名に関して、ここで情報をまとめて提示しておきたいと思います。と申しますのも、ローグライクハーフではデータの共有によって世界を広げようという試みがなされているからです。

その規約については以下に掲げさせていただきます。

[先にお読みください]

ローグライクハーフの「製作に関する利用規約」にて、以下のような説明があります。

"リプレイに登場させたキャラクターなどの世界観は、再帰的に「ローグライクハーフ」で登場する可能性があります。
再帰的に」というのは、あなたのキャラクターが、もとの作品を書いた作者などによって次の「ローグライクハーフ」作品に登場する、という意味です。"

拙リプレイに登場したオリジナルキャラクターたちも、皆様のプレイやシナリオ作成の一助になればと願っています。

登場させるにあたっての注意事項は以下の二点です。

①提示した画像については、イラストレーター様に描いてもらったもの(ソール、リヴ)とAI生成によるものがございますが、いずれも商用利用は不可です。

②可能な限り「死亡を前提としたシナリオ」へのご利用はおやめいただけますと幸いです(彼らを生み出した身として大変つらいです)。

というところで、本題に入って参りましょう。

[ソール・オ・リエンス](イラストレーター:骨盤様)

種族:人間

年齢:18歳

性別:男

一人称:私(わたし)

二人称:あなた、○○殿

出身:神聖都市ロング・ナリク

得意な武器:弓、片手剣

副能力値:器用

神聖都市ロング・ナリクの富豪リエンス家の6男坊。今は流浪の身です。

高い身分に見合った教育を受けている分、冒険者の常識と噛み合わないこともしばしば。しかし新たな価値観を拒絶しない柔らかさを持っています。

商売上の必要性から【善】【悪】どちらの共通語も読み書きができます。

1stシナリオ『黄昏の騎士』では人の好さと世間知らず故に素寒貧になっていたところを、怪しげな魔法使いに乗せられて迷宮探索をすることに。ここで命の大切さや、冒険者という職業について、そして今まで触れ合ってこなかった下の身分の人々との触れ合いの中で大きく視野が広がったようです。最終的に「私は貴族なのに、何故こんなことを?」という態度をほとんど取らなくなりました。

今回の2ndシナリオ『混沌迷宮の試練』ではリヴァーティアという最良の師匠を得て、苦悩と成長とお茶目を遺憾なく発揮する姿が見られました。

『黄昏~』で登場した謎の魔法使いは、実はリエンス家から差し向けられたお目付け役が変装した姿。『混沌~』でスネージの長の失踪やリヴァーティアについての情報を提供したのも彼です。今後も暗躍することは間違いありません。

本人は地味だと信じていますが、服飾産業の雄リエンス家の息子として服装にはこだわっています。一件地味(本人調べ)な装飾の服であっても、その生地は高級品です。ですから冒険者の集う酒場などでは良くも悪くも目立つことでしょう。

性格は穏やかで好奇心旺盛、人をあまり疑っておらず、基本的には陽気です。一生懸命ですがやや不器用な面が散見され、そんなところも相手の胸襟を開かせる一助になっているのかもしれません。

ただし賄賂という言葉には過剰に怒りを覚えることがあります。彼の敬愛していた武芸指南役が賄賂を断ったがためにリエンス家から追い出され、黄昏の迷宮で倒れたことが明らかになっているからです。また、その指南役の残留思念を黄昏の迷宮から背負い続けています。

NPCとして出していただく場合には、語学能力を生かして【善】【悪】種族間の通訳に立つ、高級品を見る目が確かなので宝石や装飾の真贋を確かめる役、身分の高い人々の間でも通用するマナーを教わるために声を掛ける、など上流階級との関わりがあるシナリオでも活躍できそうです。

放浪の旅を続けていますので、どんな街でも出会う可能性があります。トラブルに巻き込まれやすい体質のため、あなたの冒険者と一緒に巻き込まれているかもしれません。いずれにせよ、彼があなたの冒険者を騙すようなことはないでしょうから、安心して旅の道連れにしていただければよいかと思います。

[リヴァーティア・イランド](イラストレーター:骨盤様)

種族:人間

年齢:25歳

性別:女

一人称:私(わたし)

二人称:お前、名前を呼び捨てする

出身:混沌都市ゴープ周辺

得意な武器:戦槌

副能力値:筋力

身の丈2m近い偉丈夫。レドナント村を中心に名を知られた一匹狼の冒険者

並の人間では持ち上がらないような超重量の戦槌を片手で振り回すパワーファイター。

混沌迷宮内での依頼遂行率が極めて優秀であることから、黒エルフとオークの両種族から信用を得ています。逆の視線で見れば、雇用条件次第ではどちらの陣営にもつくということ。

極めて口数が少なく、ぶっきらぼうで威圧的でとっつきにくく、淡々と感情なく仕事をこなしているようにも見えます。しかも、気に食わない相手は容赦なく物理的に粉砕します。そのため尊敬される以上に怖がられる存在でもあるようです。

男性陣からは「女のくせに俺より筋肉量が多い、気に食わないやつ」と目されることも多いようですが、その都度やはり物理的に粉砕します。

しかし決して冷たい人物ではありません。彼女の心の内側では多くの思考が渦巻いているのです。それを表に出さないだけで。

強く在ることを自身に任じ、弱さを嫌います。

それは他人を切り捨てるためのものではなく、迷宮の中で最適解を導くための心構えと言ってもよいでしょう。また、弱い者(例えばレドナント村の住民や、ソールのような冒険初心者)の為に先導役を務め、自らの背中で手本を見せることは強い者が当然成すべき役目だと考えています。

出身はゴープ近郊の貧農の家。ひどい飢饉の折に、家族を生かすには自分が出て行くしかないと見定め、ハンマーを片手に家を出て、そのまま冒険者の道に入りました。迷宮探索の師匠は後述の縞蛇。

意外と(!?)料理も得意なようで『混沌~』では川魚の酒蒸しを手際よく作る姿が見られました。

NPCとして出していただく場合には、拠点とするレドナント村に行けばまず居所が分かるでしょう。混沌や混沌迷宮に対する知識や人脈を分けてもらうことができそうです(かなりぶっきらぼうに)。また『混沌~』での活躍から、レドナント村を飛び出して、ゴープ市の迷宮外での混沌との戦闘や、あるいは他地域からも雇用の声がかかっているかもしれません。他の都市は不慣れですから、道に迷って困っている彼女を見かけたら、どうか声を掛けてあげてください。

[スネージの長の息子]

本名:ウィンクルム(※)

種族:黒エルフ

年齢:80歳程度

性別:男

一人称:私(わたし)

二人称:あなた

出身:ハオス地方

得意な武器:弓、エルフの魔術

レドナント村近郊の森に拠点を構える黒エルフ・スネージ一族の、長の息子の一人。エルフとしてはまだ若手の部類に入ります。

彼が最も重きを置くのは「スネージ一族の存続」です。

オークとの反目を煽る好戦的な父とは違って穏健派であり、放浪と戦闘に疲弊したスネージの一族の中には彼を慕うものも多くいます。そのためか、次代の族長の座に向けては着々と根回しを進めており、野心に関しては人並みにあるようです。

他種族の文化に対しての好奇心が強く、特に芸術の話題を好みます。ドワーフの装飾品や、ノームのからくり、人間社会で流行している服などを買い求めてはエルフ第一主義の父から顰蹙(ひんしゅく)を買っています。

物腰は洗練されており、冒険者に対しても尊大に構えることはありません。

もしもあなたの冒険者が芸術に造詣が深いのであれば、彼が買い付けたいけれど父親の目を盗んで品定めをするのは難しいような、美術品の購買を依頼されることも考えられるでしょう。

(※)スネージの長の名前が明らかになっていないため、ファーストネームのみ設定しています。

[縞蛇]

本名:???

種族:人間

年齢:40歳前後?

性別:男

一人称:オレ

二人称:手前(てめえ)

出身:???

得意な武器:片手剣、ダガー

顔を覆う縞のような傷跡と、蛇のように暗い場所(迷宮や酒場)を好むことから、誰が呼んだか通称<縞蛇>。

傭兵出身の冒険者で、レドナント村を拠点に活動していますが、主に悪評の高さで有名です。

そのやり口は、こうです。何も知らない新米冒険者に「経験を積めるからパーティーに入らないか、うちなら先輩に気兼ねなく前線で活躍できるぞ」と声をかけ、おだてておいて罠や敵の先制攻撃をまともに受ける先頭を歩かせます。怪我をすれば使い捨てて行き、最終的に縞蛇だけが生き残って財宝や名声を独り占めすることになるのです。凄みのある傷跡や、熟練冒険者風の物腰に騙されてしまうのでしょう。

ただひとり、ブラックな環境をものともせず縞蛇に付いて回った新米冒険者がいます。それは先述のリヴァーティア。彼女に対しては、面の皮の厚さでは世界クラスの縞蛇も、苦手意識とごく少々ながら尊敬の念と恐怖心も抱いています。

特徴的な傷跡の由来は謎です。酒場でくだを巻いている時に由来を喋ることがあるのですが、毎回言っていることが違います。

『混沌~』でカオスマスターに手も足も出ず惨敗したあと、レドナント村周辺からは姿を消しているようです。別の拠点を探しているのかもしれません。確かに迷宮や戦闘に関する知識や、裏社会の伝手は豊富ですが、まったく信頼のできる人物ではありません。カリスマ性を感じたとしても、美味い儲け話を耳元でささやかれても、付いて行くのはおすすめできません。くれぐれもお気を付けください。

……あっ、あなたの冒険者といま喋ってた人、顔に縞模様の傷がありませんでしたか?

[白い鳥人の商人隊長]

本名:オリバー・クック(秘密にしている)

種族:鳥人

年齢:永遠の青春時代

性別:男(たぶん)

一人称:あたし

二人称:「○○様」など

出身:自治都市トーン近郊

得意な武器:話術と逃げ足

キバタンの顔の鳥人

迷宮内で息絶えた冒険者から武具を「回収」することを生業としています。そのような行為は一般的に卑しいものと見なされていますから、腹を立てた冒険者に襲い掛かられないように、主としてトークスキルを磨いてきました。

あらゆる役回りに対応できるように磨き続けた結果、自分が男なのか女なのか曖昧になりつつあるようです。

彼はトーンの鳥人社会に馴染めず――飛翔騎士に憧れる気持ちがわかりませんでしたので――、同じように爪弾きになった鳥人たちと回収チームを結成しました。今のところ混沌迷宮での商売は順調なようです。これもひとえに彼が引き際を決して間違えないからで、そのため仲間の鳥人たちからの信頼も厚いのです。

冒険者を見つけると、先制攻撃として猛烈なお喋りが始まります。仲良くなれば、「回収」の過程で知った情報がポロリとするかもしれません。

そもそも鸚鵡系の鳥人のくちばしを閉じさせようなんて、神様にだって出来ないことなのです(と彼は良く言います)。

どうやら種族を問わず美青年に弱いようで、そういう冒険者に出会った場合は二言目に「カワイイ」と言い出します。あなたの冒険者か、その相棒が極め付きの美少年であるならば、彼の舌はより一層滑らかになってしまうことでしょう。

鳥人たちはより稼げそうな迷宮で商売をしたいと思っていますので、カオスマスターの消滅によって混沌迷宮が静かになった場合は、他の迷宮へ稼ぎに出るかもしれません。今から潜る迷宮の噂に「物凄くうるさい白い鳥人がいる」と言われたら、高確率で彼とその仲間たちが仕事中です。仲良くしてやってください。

皆様の冒険に彼ら彼女らがひょっこり顔を出したときには、どうか冒険のお土産話を聞かせてくださいね。最後に、ソール&リヴコンビの立ち絵を描いてくださったイラストレーター様の、依頼先をご紹介いたします。うちの主役も描いて欲しい!と思われた方は、ご参考にしてくださいませ。

イラストレーター:骨盤 様

依頼先は下記のリンクより。

即日対応!貴方だけの素敵な立ち絵描きます IRIAM、TRPGなど様々に使用することが出来る立ち絵! | イラスト作成 | ココナラ

素敵なイラストをありがとうございました。

一日一歩のローグライクハーフ2/㉙終幕、その断片たち

見事カオスマスターを打ち倒し、一行はそれぞれの日常に戻って行きます。最後はその光景を辿って幕とさせていただきます。

リヴの意識が混沌に食われようとした折、それを阻止したのは火吹き獣ひーちゃんだった。賢い獣はリヴの背にあった荷物袋から「混沌の核」が収められた箱を器用な鼻先で取り出したのである。

箱を返そうとマトーシュの部屋へ赴いたが、不思議なことに扉は消え失せていた。

「やあ、お待ちしていました」

スネージの長の息子がふたりに頭を下げた。

「終わったのですね」

マトーシュ像の見守る前で黒エルフのスカーフとオークの指輪を返却すると、黒エルフとオークと冒険者たちから万雷の拍手が湧き起こった。勇者を讃える品として『警告の紫水晶』が贈呈された。

どうやら他の冒険者たちは、実力が分からない――つまり暗に足りないと言われて、混沌迷宮の第1層から攻略せねばならなかったらしい。なるほど出会わなかったわけだ、とリヴは納得し、同時に安堵した。

世話を焼く相手はひとりで充分だ。

「おや、縞蛇の旦那かね。……お別れを言いにきた? 下手な冗談はよしなさいよ。レドナント村に冒険者が集う場所っていったらウチの酒場しか無いだろうに。ふむ、ちょっとリヴァーティアのいない所で稼ぎたい? お前さん、育てた割にあの子には頭が上がらんのだねえ。いやいや冗談だって」

黒エルフとオークの宴会から解放されたあと、リヴとソールはゆっくりとレドナント村で休んでいる。リヴにとっては自分の弱さを感じて嫌だったのだが、何しろカオスマスターに覗かれた頭がまだ痛かったのだ。

それでソールを相手に柄にもなく身の上話などをしている。

ソールがこれまでの経緯を語ったのだから、自分も語るのが筋であろうと思った。

「私は貧農の娘だった。ひどい飢饉に襲われた年、一家全滅か、食い扶持を減らすかの選択を迫られて、育ちすぎた娘はハンマーを片手に故郷を出たのだ。冒険者という職があると知って、お前がしたように手本を探して回ったよ。よりにもよって私の師は縞蛇という男だったが」

ソールは目を丸くした。

「なあ。お前は迷宮で散った命に負い目を感じているのだろう。だがそんな必要は無い」

そこで言葉を切って、リヴはシチューをすすった。宴会の為に取り寄せたという、レドナント村では滅多に出会えない新鮮な野菜がごろりと入っていて、美味かった。

「必要が無いなどとは思えないが」

「どのような名将のもとでも人は死ぬ。どのような愚将の指揮下でも生き延びる者はいる。その運命のサイコロはお前ひとりが振っているわけではないのだぞ。冒険者や兵士や火吹き獣もひとりずつが己の意思で決めたことの先に、生死の境界が待ち受けている。お前は彼らとひとときだけ時間を共にし、そしてお前は境界を運よく死の方へ踏み越えなかった。それだけだ」

またリヴが言葉を切ったので、今度はソールがシチューに口をつけた。育ちがいいくせに何でも食べるのだなと思う。

「いくらでも反省はするがいい。だが無意味に引きずるな。それこそ散っていった者たちを無駄にする」

「リヴ殿……」

「ふん」

「そんなに長く喋るリヴ殿は初めてだから面食らっているのだが」

「潰すぞ青二歳」

ゴープ市の兵舎ではカオスマスターを倒した一行と、その中に火吹き獣がいたという話でもちきりである。

ソールとひーちゃんは市民がまく花吹雪の中を通って、兵舎にやってきた。

「ひーちゃん!」

指に包帯を巻いた兵士が火吹き獣に抱きついた。迷宮巡回隊の隊長がソールと握手を交わす。

「よければうちの兵団に入らないか? 火吹き獣との相性も良いようだ」

「お誘いは有難いが、まだ私は世界を巡る旅の途中なのものですから」

「それは残念だ。しかしいつかカオスマスターがまた出現するようなことがあれば……」

ソールは笑って、首を横に振った。

「その時には、きっと私よりも適任な冒険者が育っていますよ」

レドナント村の酒場は、いつも混沌迷宮でひと稼ぎしたい冒険者で混雑している。

その中でも一際目立つ長身の女戦士がいた。褐色の肌に黒い髪、並の人間では持ち上げられない重量の戦槌を、軽々と片手で振り回す。

腕利きの彼女の前には今日も依頼者がやってくる。

「<喰われず>のリヴァーティア様、どうかお助けを」

彼女はふんと鼻で笑って言う。

「雇用条件は端的に言うことだ」

ホーッ、と梟が鳴く。

それを聞いているのは「あなた」だ。

「私はマトーシュ。振り向かなくていい。その時間も惜しい。ここまで読んだなら状況は飲み込めているだろう。また混沌が悪さをしだしてね、君の協力が欲しい。なに、準備はペンとダイスと楽しむ心だけさ。さあ行こうか、混沌迷宮へ」

[完]

ローグライクハーフ『混沌迷宮の試練』これにて無事に完結です。お付き合いいただきありがとうございました! この後のページではイラストレーターに描いてもらったリヴ&ソールの立ち絵や、活躍したオリジナルキャラクターについての背景情報などをお届けいたします。NPCとして皆様の冒険に添えていただけるようにするつもりですので、お楽しみいただければ幸いです。

2023/7/16現在『混沌迷宮の試練』は無料公開が終了していますが、近々いわゆる夏コミで製本版が発売されるとのこと。BOOTHでの発売ページでも紹介が載っていますね(https://ftbooks.booth.pm/items/48973241st)。

またシナリオ『黄昏の騎士』は引き続き無料で公開されています。

拙リプレイを読んで、冒険の旅をしてみようと思われた方がいらっしゃいましたら、是非ダウンロードしてお楽しみくださいませ。

https://ftbooks.booth.pm/items/4671946

リプレイを綴ったシナリオは『混沌迷宮の試練』(FT書房、作:杉本=ヨハネ、監修:紫隠ねこ)の三回目の冒険。

「東洋 夏」がリプレイプレイヤーとしてお届けしました。

それではまた次の冒険でお会いしましょう!