たとえ愚かでも、その足跡が続くなら(1)

 

『たとえ愚かでも、その足跡が続くなら』

 

(注)

 こちらの小説はFT書房様より発表されているTRPGローグライクハーフの公式シナリオ『雪剣の頂 勇者の轍』の拙リプレイのその後を綴った物語です。ということで、リプレイそのものではございません。あくまでも主人公ふたりへの愛が抑えきれずに出力された小説です。

 また、ファンメイドの作品となりますことをご承知おきください。

 

 

基本ルールおよびシナリオはこちらで無料公開されています。

 

ftbooks.xyz

 

 

1、

 

 命懸けの群舞を見ているようだった。

 ひとつ足を踏み間違えれば忽ち首が飛ぶような類の、荒々しい振り付けの。

 メロウは故郷の村で、そのような踊りを見たことがあった。その年は冬が長引き餓死者が出そうだったから、山神様の御機嫌を取らねばならなかったのだと、母から聞かされている。

 それならば仕方ないかとメロウは思う。

 山神様の恐ろしさは、ついこの間、身に染みて教わったばかりなのだ。

 しかしサン・サレンの領主ラドス・フォン・ハルトの御機嫌取りで舞うのはお門違いのような気がする。

 ここは領主館。屋根のない闘技場だか、練兵場だか、メロウにはよく分からないのだが、そういう所に二十人程の戦士が集められて戦わされている。

 高く低く、鋼と魔法と木材と、あるいは肉と骨のぶつかり合う音が響く。

 メロウはその暴力的な舞の中心に立つ青年騎士を、祈るような気持ちで見つめていた。

 

 報せは、調停式の後ほどなく届いた。領主ハルトが雪剣を制した二人の勇者を謁見するから、二人とも明朝支度を整えて来るように。そう使者が広げた巻物に書かれた文章を読み上げるのを、メロウは何の感慨も覚えずに聞いた。

 メロウは領主になんの尊敬も抱いていない。

 村に領主の命令が届くことは稀だったし、隣国フーウェイからの侵入者を見張る絶好の位置にある村だったから、村から若者が兵隊に取られるようなことも無かった。放置することがサン・サレンのためになると計算されていたのである。ほとんど自給自足でやっている村が、中央の権威など有難がるわけもない。

 そんな訳でメロウは、偉そうな顔するなよと思って使者に凄んでみたりしたが、相手にされなかった。

 使者というか領主が気にしていたのは騎士ブラークだけ。異国の騎士に未踏峰の頂を踏まれたとあって悔しかったのだろう。

 それで難癖をつけようと呼び出したのだ。

 故に、難民エルフの小娘に用はない。

 その小娘でも分かるほどに分かりやすい態度の使者だったから、小娘はカチンと来たのである。

 メロウは口の横に手を当てて叫んだ。

「ブラーク頑張って! 負けたら承知しないから!」

 その声援に、朗らかに笑った黒髪の青年が手を振る。何をしているのか分かってないんじゃないか、という危惧をメロウに抱かせる微笑みであった。

「バカー! 手を振ってる場合じゃ……後ろー!」

 青年は後ろに目でも付いているのか、背後からのっぽのオークが振り下ろした斧をするりとかわし、お返しとばかりに相手の膝頭に回し蹴りを入れる。

 野太い悲鳴を上げたオークの手をすっぽ抜けた斧は、別の角度から槍を抱えてブラークに迫って来ていたトカゲ人の戦士に直撃し、哀れにも彼(か彼女)は胸を裂かれてばったりと倒れ、それっきりになった。血だまりがどくどくと床に広がっていく様子に、メロウの喉に朝食がこみ上げそうになる。

 また別の視点ではオークの陰から奇襲を試みようとしていたドワーフが、悲鳴を上げて崩れ落ちるオークの下敷きにされた。腹の下から這い出たドワーフはカンカンに怒り出して、体勢を立て直したオークと殴り合いを始める。もう青年のことは眼中にないようだ。

 メロウは膝頭に乗せた拳に、ぐっと力を入れる。

 誰が見たって一目瞭然なのだが、全員が全員ブラークを狙っていた。

 ブラーク以外は領主ハルトの手勢で、意地悪な領主が「生意気な騎士をコテンパンにしてやれ」と金貨をチラつかせて吹き込んだに違いない。

 彼らがぎらぎらした目でブラークを追う様は、ひどく浅ましかった。生まれも育ちも種族も違うはずなのに、みんな同じ顔をする。

 弱い者を踏みつける正当な理由が出来て、しかもお金がもらえるなら最高だと顔に書いてある。最低の顔だ。その顔をするやつこそが本当は弱いのだ。

 格好悪さに気づかないまま、こんな所で働いている大人達。

 大嫌いだと、メロウは思う。

 けれど、いじめられている方のブラークだけが、ただ一人なぜか平然としていた。

 踊るように刃を、拳を、爪を掻い潜る。その度に誰かが地べたに倒れて呻き声を上げていた。

 ブラークは変な奴だし怖さもある。雪剣で血塗れになった姿も見た。けれど、そっち側の味方でいたいなとメロウは願う。

 弱いものいじめを楽しむ奴らに守られるとか、最悪だから。

「ブラーク、あと三人!」

 メロウの横で立派な椅子の肘掛にガリガリと爪を立てて、領主ハルトが憤怒の息を漏らす。

「何をしている……」

 こいつが泣こうが喚こうが怒り狂おうが知った事じゃない、とメロウは密かに鼻で笑った。

 大剣遣いがブラークの前に飛び出る。

 得物は怪物狩猟に振り回すような、対人用とは思われぬほど巨大な剣だった。

 しかしメロウには信じられないほど速い。ブラークの眼前に到った時には、振り上げた刃は既に狙い澄ました軌道を辿り始めている。障害なく振り抜ける空間が確保できるまで、息を潜めていたのだろう。重く大振りな得物の欠点を補うため、相手の先手を撃てる千載一遇の機会。

 今、その辛抱が実を結ぼうとしていた。

 ここまで突っかかってきた奴らより一枚上手だ。

 メロウは息を飲む。

 刃の軌跡上にあるのは首。

 ブラークの、首。

「もらった!」

 その時、ブラークはメロウからすると信じられない行動に出る。

 自分の両手剣を手放したのだ。防御を捨て、素手で相手の懐に飛び込んでいく。

 ブラークは意表をつかれた大剣遣いの手首を掴むと、刃を振り抜く相手の力をそのまま利用して投げ飛ばした。

「うあああっ!?」

 重量級の大剣遣いは、その後ろに立っていた双子エルフの双剣遣いを巻き込んで壁に首から激突し、ひくりと痙攣して動かなくなる。

 何故エルフの双子が背後にいたかというと、ブラークの首をはねて達成感に浸る大剣遣いの隙だらけの首をはねて、金を独り占めしよういう魂胆だったのだろう。根性が悪い。

 だがこれで、立っているのはブラークだけ。

 息を整えたブラークは、洗練された騎士らしくサン・サレンの領主に対して優雅なお辞儀をする。

「ラドス・フォン・ハルト様。御満足いただけましたでしょうか?」

 頭を上げたブラークの額から、たらりと一筋、血が垂れた。

 

2、

 

 ふたりに割り当てられた領主館の離れの一室で、メロウは領主の悔しそうな顔を思い出してにやにやしている。

「上機嫌だな、メロウ殿」

 衝立を間仕切りにした向こう側から、ブラークの声がした。男女の接触について、実家が宿屋のメロウは過剰に気にすることもないが(だいたい旅先の男女は一緒の部屋に泊まるのだ)、ブラークの方は大いに気にする。最初は部屋に間仕切りもなくて、ブラークが急ぎ持ってこさせたのだ。騎士には色々と難しい約束事があるのかもしれない。

 布の擦れる音がするから、頭の傷に包帯を巻いているのだろう。最後の大剣遣いを投げ飛ばした時、実は相手の手甲に激突していたのだとか。その心配は考えないようにして、

「だってね、頭から湯気が出そうなくらい怒ってたんだよ。あんなに怒ってる人、初めて見たかも」

 そして堪らず、くすくす笑う。

 やっと緊張が抜けてきた感じがする。

 領主の青筋立てた顔と騎士ブラークの澄まし顔の鮮やかな対比は、メロウの記憶に焼き付いていた。

「もっと穏便に終われば良かったのだが。私の不徳の致すところだ」

「え、だって喧嘩売ってきたのは領主様でしょ?」

「私だよ」

 間仕切りの向こうで、とん、と床に足をつく音。ブラークの足音はエルフの基準からしても静かなので、メロウは妙な胸騒ぎを覚える。

「ブラーク、もしかして怒ってる?」

「うむ、メロウ殿には隠し事が出来ないらしい」

「私に怒ってる? 使者の人に文句言ったし。だったら」

とん。メロウの言葉が止まる。

「いや」

ブラークは言った。

「断じて違う。これは私が解かねばならぬ問題だからね」

「……そっちに行っていい?」

「乙女からの申し出としては最高の部類に当たる。受けなければ騎士の名が廃るであろうな。いや、見苦しいから片付ける。しばし待たれよ」

「やっぱり変なやつ……」

 ベットの縁に腰かけて、耳を澄ます。重い金属を動かす音がする。鎧だろう。鞘の中で剣が振動する音。衣擦れの音。でも足音は、しない。どうやら機嫌は直ったらしい。メロウに対して怒っている訳では無いということだ。

 安心する。

 自分が世間知らずだという事くらい理解していた。村を離れ、初めてサン・サレンで一番大きな街に来たこの旅のなかで、否応なしに分からされたと言うべきか。

 ブラークは旅慣れていた。領主と会った時だって堂々としていた。そういう場面に応じた適切な振る舞いが出来ない、ということをメロウは恥じつつあった。

 きっと失礼なことも沢山しただろう。とはいえ、領主については向こうも失礼だったからお互い様だと思うが。

「メロウ殿」

 呼ばれてベットからひょいと立ち上がる。板張りの床はささくれひとつなく磨き抜かれて、足の裏に心地よい。領主は嫌いだが、館は好きだ。ベットもふかふかだし。

メロウが衝立を回り込む前にブラークが言った。

「提案だが、外へ行くのはどうだろうか。街歩きの時間を取るのは?」

「いいのかな」

「外出禁止とは言われていない」

「へりくつ感がある」

「屁理屈も理屈のひとつ。すべての責は私のものだ。さ、行こう」

 部屋の大扉が開く音。メロウは慌ててフタコブ革のブーツに爪先を滑り込ませる。

 サン・サレンはもうすぐ春になろうとしている。故郷の村より随分と暖かく、メロウは驚いたものだ。平地人が雪剣を登りに来ては震えて帰っていくのも、以前は馬鹿にしていたが、今は仕方がないと思えるようになった。世界には知らないことが沢山ある。

 ブラークに追いつく。騎士は毛皮のマントに包まって、もこもこの輪郭になっている。鎧の上に重ねるためのマントだから、何もつけずに羽織るとちょっとだけ不格好だ。曲芸師からはぐれた子熊が歩いているようにも見えて、メロウは思わず笑ってしまう。

「如何した、メロウ殿」

「ううん何でも。それより賞金持ってきた? 私、ブラークは毛皮のマントを新調してもいいと思うんだけどな!」

ふむ、と思案顔でマントを摘んだブラークは、考えておこうと言った。

「乙女の助言であれば、有難く」

 

3、

 

 サン・サレンの街は晴れて清々しい。

 雪は積もっているが、雪山に慣れたメロウには歩きにくいほどではない。

 領主館にほど近い中央広場から南北に大通りが敷かれている。北はサン・サレンの主要産物ドルツ石の採掘場まで続いているのだそうだ。中央広場でひときわ賑やかなのが冒険者御用達の<剣竜亭>。そこから南は庶民的な店が並び、路地に入れば市場がある。メロウの興味を引くのはもっぱらこちらだ。

 故郷の村にあったのは村人相手の雑貨屋が一軒。あと商売をしているのはメロウの実家の宿屋だけだった。様々な職種の店が軒を連ねている光景は、メロウの心を言いようもなく弾ませる。

「ねえブラーク凄いね、全部見て回りたい」

「仰せのままに、レディ。しかしまずは腹ごしらえをしよう」

 確かに良い匂いがした。故郷の匂いとは違う。

 意気揚々と市場に向かったが、いざ人混みに入るとメロウは気後れした。

 こんなに人がぎゅうぎゅう肩を寄せあって行き来する場所は、初めて歩く。ひとつ山下の村に市が立つ時だって、こんなにも密集した人の群れにはならない。人ばかりか石造りの建物に囲まれているのも気持ちを掻き乱す。どうやって進めばいいのか見当もつかなかった。

 マントの上からブラークの腕を掴もうとすると、

「これはこれはご無礼を」

ブラークはさっとマントから腕を差し出し、メロウは困惑気味に自分の腕を絡ませまた。

エスコートを忘れるとは、迂闊にも程があろうと言うもの。お許しください、レディ」

「これ、慣れなくちゃいけないんだよね」

「御母上を探すのであれば。怖いかな?」

「……全然」

メロウは自分に言い聞かせた。

「全然。大丈夫だから、先、行こ」

 かたわらの騎士がにこっと笑ったのが、顔を見上げなくてもわかる。

 エスコートする腕に少しだけ力が入り、その筋肉の動きにメロウはどきっとした。ブラークにこれ程近づいたのは雪剣での冒険以来。あの時は鎧と手袋越しだった。調停式の時も横にいてくれたが、緊張し過ぎてよく覚えていない。

「では、いざ。私は揚げパンが好きだが、メロウ殿は如何であろうか」

 メロウの当惑をよそに、ブラークは跳ねるような足取りで歩き始めた。

 初めて冬を越した毛長牛の仔が、春を迎えて浮き足立ったときの態度に良く似ている。あっちの草からこっちの花へ、縦横無尽に鼻を突っ込みたがるから、綱を取るのに苦労するのだ。

 ならば、そう、ブラークの事は牛だと思うことにする。歩いて喋る力の強い牛。牛の世話をするのだと考えておけば、緊張のしようがない。

 市場は雑然としていて、方々で売り子が張り上げる大声が石の壁にわんわん響いている。最初は耳を塞ぎたくもあったが、慣れてしまえば面白い。ものを売るだけではなく、大人が真剣な顔でサイコロを振っている店もあった。何かとブラークに尋ねると一言、

「賭博」

と答える。

 中程でブラークはまた道を折れた。すると、大きな食堂があった。

 食堂といってもひとつの店ではない。天井の高いホールの壁際にいくつも店が並び、注文を取っている。客は好きな店を選んで食事を買って、ホール中央に何列も並ぶ長い長いテーブル席へ持って行って食べるのだ。外の風は遮られているからとても暖かく、寛げる雰囲気である。

「面白ーい!」

 メロウは目を輝かせ、爪先立って店を見渡す。地元サン・サレンの店もあれば、隣国ビストフの料理を出す店もある。

「ねえブラーク、ベビー・クラーケンって何? あの妙ちくりんな十本腕の絵? 丸焼き美味しいの? ビストフの人、本当にあんなの食べる?」

「ふふ、見て回ろうか」

「うん!」

 そうしてふたりは食堂の店を隅から隅まで見て回った。件のベビー・クラーケンは、実物を眺めるとメロウの想像の及ぶような生き物ではなく、おおよそ美味しそうとも思われなくて、ブラークが買ってあげようかと気を遣ってくれたが断っておく。

「まあ、些か刺激の強い見た目だからね」

「海にはあんなのが、うじゃうじゃいるの?」

「ビストフでは良く料理に出てくるから、うん、沢山いるんだろう。おっ、フルーツケーキだぞメロウ殿。買っていいかな」

「好きにしたらいいじゃん」

 ふんふんと鼻歌まじりにブラークは手のひら大にカットされたフルーツケーキをみっつ買い、メロウにひとつ渡してくれた。

 ケーキの上に砂糖が冠雪した山のように白くかかっていて、とってもお洒落。歯を立てると砂糖が崩れてしゃくっと鳴った。美味しい。食べながら次の店を見る。その次も見る。あれもこれも食べたくなって、串焼き、唐辛子と芋のシチュー、炒め飯、果物のシロップを使った甘い飲み物まで買って、長机の向かい合わせに座ると、ふたりとも夢中で口の中に放り込んだ。

 どれもこれも美味しい。村とは違う味付けで、もっと早く知っていたらなとメロウは悔しくもなった。旅人たちから、宿で出る食事は田舎風で素朴な味とか言われて腹を立てた時もあったが、今なら納得出来る。確かに素朴な──単純な味付けであったことだろう。ここに、お母さんがいたら、きっとメニューを持ち帰って、もう二度と田舎の料理とか言わせなかっただろうに……。

 そう思うと、急に悲しくなった。手が止まったメロウを心配そうにブラークが覗き込む。

「メロウ殿、腹痛でも?」

「ううん。お母さん今頃どうしてるのかな、って考えちゃっただけ。……ねえブラーク、真面目な話以外の話がしたい」

「そうだな」

ブラークはゆっくり周囲に視線を巡らせた。

「ブラークは、色んな国を回ってるんでしょ」

「騎士の修行でね」

「それ、普通なの? うちの村に騎士が来たの、初めてだったよ」

「侮辱と取られかねないから内緒にして頂きたいものだが、一人前と認められるために私は他の騎士より厳しい条件を課せられているとは思う。大陸全土を巡らねば、聖ならない」

「どうして」

「生まれの問題だな。私の父は森番で、幸運に恵まれて富豪になった者。つまり私は騎士として血統の裏付けを欠く。それは富に左右されるものではないからね」

「ふうん。だから、いじめられてたの」

 ブラークの目が丸くなった。いつもの笑顔にひびが入ったようで、メロウは慌てて続ける。

「今朝の戦いの時そうなんじゃないかと思って。悪口じゃなくて、凄いって言いたいだけだよ」

「ふむ」

 必死にメロウは言葉を重ねた。自分の一言を挽回したいと心から願っている。

「ブラーク、沢山の人に囲まれてもどうしたらいいか分かってるみたいだから、その、そう、毛長牛でもそういうことがあるから。でもね、そういう毛長牛が最後には一番強い群れの長になるんだよ!」

 するとブラークはにこやかな笑顔を取り戻して、

「やはりメロウ殿に隠し事は出来ないなあ」

などとのんびりと言うのであった。

「従騎士の頃は、ああやって良く先輩方にボコボコにされていたものだよ」

「ふるさとに帰ったらやり返してやれば?」

ブラークは首を横に振る。

「それで溜飲を下げるのはつまらない。見返す事が快感であるうちは、彼らと同程度の下劣さから抜け出していない証左であると、私は思うのだ」

「……ブラークってさあ、たまーーーにエグいことを言うよね。良いけど」

朗らかに笑ったブラークの顔をまじまじと眺めながら、メロウは串焼きの最後の一本に齧り付いた。

 

4、

 

「さて」

「うああ、信じられないくらい食べた食~べ~た~」

「ああレディ、お腹を叩くのはお控え下さいませ」

「うるさ~いっ!」

「はっはっは! うるさいと言えばね、そう……」

 ブラークは目にも止まらぬ速さで真後ろに座っていた見知らぬ男の襟首を掴み、引き寄せると、鼻から机の天板に押し付けた。相手に悲鳴すら上げさせない、荒事に手馴れた速度である。

 顔を寄せてブラークは静かに言った。

「君、私たちが領主館を出てから尾行しているな。用があるなら今ここで済ませろ。領主の手の者でないのは分かる。難民だな」

 傍から見れば、仲の良い血気盛んな冒険者がじゃれあっている光景に映るはずだ。

 ブラークに引っ張られた男は力づくで首を上げようともがく。薄汚れた金髪のエルフだった。ブラークは机に再びエルフの男を押し付ける。

「離せ」

「穏便に済ませろと言っている。忠告だ。次は鼻を折る」

「俺は、ディレンの娘を見に来ただけだ」

「お母さんのことを……」

薄汚れたエルフは、だらしなく笑った。

「お母さん、ねえ」

 歯が何本も欠けている。母が常にメロウに言い聞かせたエルフの矜恃というものが、この見知らぬ男には一欠片も宿っていないのだと知れた。

 背筋が寒くなる。東の森の末裔。こんな男が。こんな風にだらしなくて、恐ろしくて。お母さんは、こんなものを守るために出ていったのか?

 それでもメロウは問わずにいられない。

「お母さんの事を知っているなら教えて、お母さんは無事? それだけでもいいから……」

「さあて、どうだろうな。俺は知らんが、他の奴らは知ってるかも」

「用事はそれだけか」

ブラークの声は、雪剣から吹き降ろす風のように冷たかった。

「は、お前に何の関係がある」

 片手一本で軽々と、ブラークは男を床に向かって投げ飛ばす。

 投げられた男は、そこだけはエルフらしい俊敏さで身体を捻り、四つ足の獣じみた着地をした。両手足を床に付けたまま、光の鈍い目でメロウをじっとりと眺めるその視線は得体が知れず、狡猾さの色を濃厚に纏っている。

 メロウは思わず腰の小刀を探っていた。

「我が連れ合いに手を出さば、その首、胴より離れると心得よ」

 ブラークが立ち上がる。マントの下で既に剣は鞘から払われていた。

「騎士ブラーク・オ・リエンスがそのように誓約する。命ある限り違えぬぞ。疾く、去れ!」

 エルフは立ち上がるとブラークの足に向かって唾を吐く。ブラークは平然と立っている。

「その顔覚えたぞ、くそ・ブラーク・オ・リエンス。くくく、ははははは!」

 エルフは素早く向きを変えると、周りに集まってきた野次馬を突き倒し、哄笑と共に走り去った。辺りは騒然とし、エルフ男を捕まえに何人かの冒険者か兵士らしき人影が走って行く。

 野次馬が解散するのを待って、ブラークがいつもより低い声で言った。

「メロウ殿、大丈夫か」

「え、うん」

 声をかけられた途端にメロウは体の震えが止まらなくなった。ブラークが肩に手を置き、耳元で言う。

「帰ろう。まだ市場を見て回る機会はある。私も次は警戒を怠らぬと約束するから」

しかしメロウの口から出たのは、

「まだ帰らない」

という答えであった。

 ブラークが気遣わしげな顔になり、メロウは自分で自分の返答の意外さに戸惑う。帰りたいと言うつもりだったのだ。正反対のことを言ってしまったのは、つまるところ、それが本心だからだろう。

 メロウは大きく呼吸をして自分を落ち着かせ、言った。

「エルフの……難民区画、だっけ。そこを見るまで帰れないよ。ブラーク、私は自分の目で納得したいの。さっきのエルフみたいなのがいるんだろうなって分かってるし、怖いけど、でもお母さんの手がかりがあるのなら……」

 メロウの説明は尻すぼみになる。ブラークは無言のまま、ゆっくりと拳を閉じたり開いたりした。

 口ではなくそちらを動かしたことに、彼の葛藤が現れている気がして、メロウはまたこの騎士を困らせている自分に情けなさを覚える。

 もし、危険な場所に立ち入っても、そこで起こるトラブルを独りで切り抜ける自信が持てるほど強い戦士であったなら、ブラークが悩む必要など何一つ無いのだ。

 やがて騎士は重々しく口を開いて、

「ならば私も一緒に参りましょう、レディ」

「巻き込まれなくていいのに」

 ブラークは、

「家族の秘密など、少ない方が良いのだ」

ほとんど独白のように言って、メロウに手を差し出した。