たとえ愚かでも、その足跡が続くなら(3/完)

 

10、

 

 メロウは目を覚ました時、自分が檻の中にいると気付いて愕然とした。

 押し込められた檻は人ひとりが座るだけの大きさしかなかった。小柄なメロウには余裕のあるサイズで、手足が少しは動かせる。

 同じような檻が幾つも並び、中には力の弱そうな人間や、女子供が詰め込まれている。

 檻は、はっきり言って出来が悪かった。格子の接合が甘い。魔力が通っている気配も無い。哀れな奴隷を押し込めるには間に合うだろうが、それがスウォードヘイル山脈をうろつく獰猛な生き物だったなら、役には全くたたないようなしろものだ。

 メロウは下手くそな継ぎ目を見て深呼吸する。破る方法は分かった。何故ならメロウ・ディレンはパニックに襲われる無力な子供ではなく、スウォードヘイル山脈を縄張りにする猛獣の仲間だから。接合部分の弱みをゆさぶれば、格子を押し広げることは可能だ。

 そのことにより、怪物狩猟者が檻の監修をしていないことも分かる。あの気持ち悪いエルフが権力を握っていて、ブラークを仕留めた怪物狩猟者がただの用心棒であるならば、まだ勝ち目が計算できそうだ。

 

 むかむかしていた。こんなのまるで、出来の悪い冒険譚にいつも出てくる、主人公の足を引っ張ることで居場所を得ている女のようである。だから自力で逃げなければならない、とメロウは決心した。

 問題はふたつ。ひとつは足につけられた枷(かせ)であり、もうひとつは地理がまるで分かっていないこと。

 屋外に放置されている檻から見える景色は難民区画であることに間違いは無い。門の外側なのだろうとは思った。変な形に三階も四階も積み重なった木の家が、今にも崩れそうなバランスで空を隠している。檻を破って逃げ出したとして、地の利は相手にあるのだ。

 猟師は決して自分に不利な地形で戦ってはならない。自分の実力が余所でもそのまま通じると、過信してはいけない。そう母から言いつけられている。

「ああもう、くそっ」

 メロウは金属製の重い足枷を見て悪態をついた。こればかりは引きちぎることが出来なさそうだ。しかも鉄球が付いていて、引きずって行くには重いし、邪魔過ぎる。

 憤慨していると、檻の列の端からすすり泣く声が聞こえた。鞭の音が鋭く鳴って、例の目つきの悪いエルフが怒鳴りつける声が響く。どうやらメロウを待ち受けている運命は、春を売らせる方向に舵を切っているらしい。

 母がいつも怒っていた。女性をさらって売るとんでもない輩がいるのだと。今なら怒りの源が良くわかった。同族が貧困のあまり人買いと手を組んでいる薄汚さに、母は怒りを掻き立てられていたのである。

 目つきの悪いエルフは音を立てて歩き、メロウの檻の前で足を止めると唾を吐きつけた。

「よう、メヴの娘。裏切り者にはお似合いの位置だな」

「裏切り者って何よ」

「分からないか!?」

 死にかけの蛇のような目を見開いて、エルフはメロウを見た。その奥に揺るぎない憎悪がある。石を投げ入れてもさざ波ひとつ立たないような深く、凝り固まった憎悪。

 芝居がかった仕草で手を広げたエルフは、

「お前のママは同族を置き去りにして人間とよろしくやった。その報いだよ、なあ」

メロウは唾を吐き返してやった。エルフの秀でた額のど真ん中に命中する。

「ここを何とかしたいなら、自分で変えたら良かったじゃない!」

 きいきい喚きながら檻を蹴飛ばし始めたエルフは、後ろから現れた巨漢に首根っこを掴まれ檻から離された。

「何しやがる!」

「売り物だぞ。値が下がる」

 例の怪物狩猟者である。改めて見れば、巨人のように大きい。彼が双子の兄と説明した男より頭ふたつくらい背が高く見えた。その兄よりブラークは小さかったのだから、怪物狩猟者はメロウふたりを縦に並べたくらいの身の丈があっても驚けない。

「それに、この娘の方が正論を言ってる」

「うるせえ!」

 怪物狩猟者が溜息混じりにエルフを放り投げると、地面に転がったエルフはまた獣のように四つん這いになり、湿度の高い上目遣いで相手を品定めするのであった。

「こちらは下りてもいいんだぞ。好きにしろケルヴァン。俺は雇われただけだからな」

 ふたりのやり取りよりもメロウの意識を釘付けにしたのは、怪物狩猟者の左腕に装着された手甲型のからくりだった。あのからくりで糸を操っているのであろう。

 何しろ驚くほど細く強靭な糸だったから、指で操れば指ごと切れて落ちてしまう。特殊な補助器具があるはずだと睨んでいたのだ。一度目は観察する余裕も無かったが、この機会を逃すわけにはいかない。

 そう集中していたから、続いて怪物狩猟者が言った、

「あの死に損ないを恐れているんだろう、ブラーク・オ・リエンスを?」

という言葉を、危うく聞き逃すところであった。

「ここに張り巡らせた罠を扱えるのは、俺だけだ」

「次にしくじってみろ、どうなるかわかってんだろうな」

 そう息巻いたエルフが、たちまち糸に絡みつかれて宙に吊り下げられたメロウは目で追った。エルフの手首の辺りから血が噴いて、糸を赤く染める。空中に血文字のような赤い線が描かれ、檻に閉じ込められた人々からも悲鳴が上がった。

「殺し損なうことはない。どの路地を通ってきても糸が知らせる」

 あのエルフがどうなろうと知ったことではないが、怪物狩猟者のからくりの動き、糸の張り方を見ていく必要がある。

 息を詰めていたメロウの体の内側で、どっと音を立てて熱が巡り始めた。

 

11、

 

 びょうびょうと耳元で風が唸っている。ブラークは塔の外壁に身を預けて、揚げパンを取り出しかぶりついた。

 ドワーフのドムリが言っていた広場を視認するのは想像していたより難しい。所狭しと額を寄せ合う難民区画の家々は途切れることなく広がっている。その中にぽっかりと開いた公共の空間など無いように見える。案内人が必要だ。しかしどうやって雇う?

 壁の外、ブラークの下方から音もなく手が伸びて来て、揚げパンを掴もうとした。ブラークは転がるように外壁から内へ転がり、

「何者だ!」

 声に恐れる様子もなく、塔の外側から狭間に手をかけて、少年と言っても良さそうな体格のエルフが上ってきた。

 たいていのエルフは無駄な肉のつかない細身の体型だとはいえ、あまりにも細い。枯れ枝のようだ。目は落ちくぼんでどんよりしているし、ぼろから突き出した腕は骨の形まで見て取れる。まともな食事を取っていないのだろう、とブラークは憐れみを覚えた。

「腹が空いているのだな」

 少年は無言でうなずく。

「これを渡してもいい。ただし」

よだれを垂らさんばかりに口を開いて突進してきた少年の手をするりとかわし、ブラークは言った。

「私は君たちと同族のメロウ・ディレン、ケルヴァン、それから人間の大男を探している。知っているか?」

「知ってるよ」

焦れたように口を開いた少年は手を突き出す。

「教えてくれ。夕方にケルヴァンは外の人々と取引をするのだろう? その場所に行きたい。教えてくれたらあげよう」

「言葉で説明できない。どうせ外の人間には言っても分からないから」

「そうだな。賢しい子だ」

 その言葉にエルフの少年は首を傾げた。どういう意味の言葉なのか、分かっていないのかもしれない。だとしたら、ますます哀れだ。

「褒めたのだよ」

「ふーん」

しばし考えてから、少年は言う。

「案内してもいいよ、ぼく」

「よし。交渉は成立だ。ほら――」

 ブラークが手渡した揚げパンを取ると、少年は年齢に似合わぬ狡猾な笑みを浮かべて身を翻した。ブラークが反応できないほどのすばしっこさで、外壁から身を躍らせ、

「ついてこれたらね!」

捨て台詞と高笑いが少年の後に続く。

「しまった」

 ブラークは狭間に駆け寄り、遥か下に見える屋根に軽々と着地した少年が、ふざけた動きをしてこちらを挑発してくるのを歯噛みして眺めた。

 それから少年は指笛を吹く。何の合図だったのか、別の指笛の音が応える。

 ブラークは屋根までの距離を目算した。身長の何倍あるのだろう。下手をすると骨折するし、屋根がブラークの着地の衝撃に耐えられるかは何とも心もとない。難民区画の屋根に突き刺さって助けてくれと叫んだ場合、慈悲を得られる確率は如何ばかりか。

 しかしこの時、ブラークは些か冷静さを欠いていた。勇猛果敢さを是とするロング・ナリクの血がそうさせたのかもしれないし、騎士道精神の発露であったのかもしれない。

 ともかくブラークは壁の狭間を蹴って、跳んだ。

 僅かな自由落下の後、両足の裏に粉々に割れそうな衝撃が走る。幸いにも屋根は踏み抜かなかったが、雪に置いた足が傾斜でずるりと滑った。両手剣を屋根材に突き刺して滑落を止めると、痛みで麻痺しかかっている足を無理やり動かして立つ。

 すぐそばで化け物を見たような顔をして、エルフの少年があんぐりと口を開けていた。目が合うと小さな悲鳴を上げる。

「道案内をするという約束だったな」

 少年は我に返り、先ほどとは異なる調子の指笛を吹いた。また応答がある。脱兎の勢いで屋根を走り始めた少年を、ブラークは追いかけた。

「助けて、助けて!」

 この少年が見張り役か連絡役に使われているなら、好都合である。応答してきた指笛は情報を集積している場所から発されているのであろうし、ならばそこが自ずと難民区画の頭脳に等しいといえよう。今のやり取りで大まかな方向は掴めた。

 とはいえ、これ以上こちらの侵入を報告されても困る。ブラークは追う速度を上げた。少年が駆け、時に狭い路地の上を屋根から屋根へ飛び移る動きにぴったりとくっついていく。度胸と大胆さにおいてはロング・ナリクの見習い騎士で随一と評されたブラークの、面目躍如である。

「私を恨め」

 泣きそうな顔をして振り向き、また口に指を持って行こうとした少年に、ブラークはあて身を食らわせた。枯れ枝と見まごう体格の少年エルフからくったりと力が抜けたのに罪悪感を覚えつつ、そっと屋根に横たえる。

 それから屋根の連なる先を見た。目的地は間もなくだ。

 

12、

 

 指笛がメロウの頭上でこだまする。

「へ、あのぼんくら騎士はおつむが弱いらしいな」

 にやにやと口から指を離して、エルフのケルヴァンは嫌らしい目を細めてメロウの檻を覗き込んだ。

「昨日死にかけたってのに学習しねえ。街門からのこのこ来やがったぜ。これならオレ達だけでボコれたな。お前、はずれを引いたよメロウ」

 奴隷商人を迎えるため、檻の周りには幾人ものエルフがたむろするようになっている。そのエルフたちから同意の笑いが上がった。

「おい、役立たず。働けよ。あいつは何処にいるんだ。エルフ小隊はぶん殴りたくてうずうずしてるんだぜ」

 ケルヴァンが怪物狩猟者にふざけて蹴りを入れる。怪物狩猟者は左手を動かしながら、ケルヴァンを無視した。

「おい。オレたちの金を無駄にするんじゃねえよ。働けって言ってんだろボケ!」

「見張りを呼び戻せ」

「はあ?」

「ブラークが消えた。路地にいない」

舌打ちしたケルヴァンが指笛を吹く。しかし応答がない。

「クソガキが、サボりやがって! おい……」

 その言葉は途中で、屋根の上から降ってきたブラークに文字通り断ち切られた。落下の衝撃を乗せた剣は、ケルヴァンを頭から尻まで真っ二つに切り伏せた。くるくると踊るように左右に分かれて倒れたケルヴァンの姿に、取り巻きたちはかん高い悲鳴を上げて我先にと逃げ出した。

「ブラーク・オ・リエンス、頭上より失礼致す! 我が庇護すべき乙女をお返しいただこう!」

 メロウは再会の喜びより先に、叫んだ。

「右!」

頭を動かしたブラークの右耳から血が飛ぶ。怪物狩猟者が静かに笑った。

「左手のからくりから糸が出てる。そいつ罠を沢山作ってるよ、ブラーク。下!」

 メロウの言葉に従って跳躍したブラークの足元で、複雑に織られた糸がきらりと光る。あそこに踏み込んでいたら足首が無くなっていただろう。どうやらブラークの目ではまだ糸が追えていない。怪物狩猟者の間合いで戦っていては勝ち目はなかった。

「ふふ」

さも愉快そうに怪物狩猟者が声を立てて、糸を繰る。

「これでメガレオンを躍らせたときは楽しかったな。お前はどれだけ踊れるか。いい振付師がついているようだから期待しているぞ、ブラーク・オ・リエンス」

「み、違う斜め左上!」

 ブラークの左肩から血が流れる。メロウには糸の軌跡が見えているが、口が追い付かない。もどかしくてもどかしくて檻を拳で叩いた。

「下! 右下! 上と右!」

 叫びながら檻に体を押し付ける。みしみしと音を立てて格子が外側へ膨らんでいった。そこに集中しすぎて、一拍声が遅れた。

「左!」

「駄目だな、拍子を外しては」

ブラークの胸に真一文字の赤い線が引かれる。

「う、あっ」

 よろめいたブラークの体の数か所から一斉に血しぶきが上がった。まだ浅い傷なのは怪物狩猟者が遊んでいるからに過ぎない。

「兄は戦う場所を間違えたな。こうすれば手も足も出なかったというのに。ロング・ナリクの神性鎧も無しに踏み込む度胸だけは認めてやるが」

「止まって!」

 メロウの言葉に、ふらついたブラークは足を踏ん張った。分厚いブーツがざくりと切れる。恐るべき敵だと認めざるを得なかった。打つ手が無い。左手のからくりとやらを斬り落としたくとも、その何歩も前にブラークは切り刻まれるだろう。

 怪物狩猟者は指揮者めいた手つきで左手を振る。その糸が描いたあまりにも複雑な軌跡を、メロウは表現する術を持たなかった。

「後ろへ!」

 ブラークは素直に飛び退きながら両手剣を振る。いくつかの糸が断ち切られたが、それも読まれていたのだろう。跳ね上がった糸がブラークの顔に切り傷を付けた。目に血が入ったブラークが棒立ちになる。

「さあ、終わりだ」

 興奮のあまりか怪物狩猟者はメロウの方へ一歩踏み出し、檻に身が触れそうな距離感まで近づく。それをメロウは待っていた。渾身の力で格子に最後の一押しを加え、千切れた格子を握って怪物狩猟者の左手に躍りかかる。足枷がついていても、立ち上がるだけなら問題はない。

 意表を突かれた怪物狩猟者は左手を引き、右手でメロウを殴ろうとした。その瞬間を逃さなかったブラークは、雷光の如き速さで強敵の懐へ踏み込む。心臓を正確に狙った突きが風を裂いた。

「おおっ!」

 怪物狩猟者は反射的に右手を戻して胸を庇おうとする。ブラークの剣はそこで急激に軌跡を変え、怪物狩猟者の巨躯を逆手に取って下へ潜った。

「なんだ、とおっ」

ぶつ、と音を立てて、からくりをはめた左腕がちぎれて落ちる。

「あがああああっ!」

 しかし怒り狂った怪物狩猟者は、痛みでも得物の喪失でも止まらなかった。素早い頭突きと蹴りがブラークの体にめりこみ、ブラークは並んだ檻に激突しながら吹き飛んでいく。

 メロウは足枷の鉄球を思い切り怪物狩猟者のすねにぶつけてやったが、ちっともこたえた様子はなく、かえって右腕で顔を叩かれた。メロウはそれだけで頭がくらくらして腰が抜け、座り込んでしまう。

 (こんなところで弱っちいことしてる場合じゃないよ、私!)

 何とか体を動かそうともがいているメロウの視界の中で、ブラークがよろよろと立ち上がる。口から血が垂れて白い胴着まで達し、それを赤く染めていた。息をするたび赤の面積が増している。

 怪物狩猟者は自分自身が怪物になったかのような咆哮を上げ、背中の大剣を片腕で抜いてブラークに襲い掛かった。

「来い!」

 ブラークは真っ向から受けて立った。一合、二合とぶつかる度に双方の剣から火花が散る。凄まじい膂力で振り回される怪物狩猟者の大剣は、その剣閃に巻き込まれた檻を易々と粉砕した。囚われた人々が悲鳴を上げる。

「この人たちを巻き込むな!」

「知らん、知ったことではない、ブラークッ!」

 怪物狩猟者が子供の入った檻を蹴飛ばした。咄嗟に避けようとしたブラークに向かって、怪物狩猟者は剣を突き出した。不用意に受け止めたブラークの手から両手剣が跳ね飛び、遠くに転がる。

「しまっ……」

「死ね!」

 高らかに哄笑を放った怪物狩猟者の剣の切っ先が、翻ってブラークの腹に吸い込まれていく――その直前で、落ちた。

「なんだとぉっ!?」

 すっぱり綺麗に断ち切られた腕先を、怪物狩猟者は信じられない顔で眺める。そしてメロウを振り返った。その手にあるのは怪物狩猟者の左手と、からくり。

「エルフなめんな。メヴの娘は狩人なんだから! 罠の使い方で負けたりしないよ!」

「くそ、くっそおおおおお」

 両手を失くした怪物狩猟者は自身を弾丸にしてメロウに突撃する。

「嘘でしょ!?」

 ブラークは怪物狩猟者の大剣を取り上げると、渾身の力で投擲した。ずぶりと背中に突き立った大剣に引きずられた巨漢はメロウの横を通り過ぎ、壁に激突してようやく止まった。

「……メロウ殿」

「ブラーク、無事っていうか、まだ立ってられる!?」

「大丈夫だ」

「血まみれで言われても困るけど。ええとブラーク、気絶しないでちょっと待ってね」

「ああ」

 失血にふらふらとしながら、ブラークは愛剣を拾い上げた。少し無茶をさせ過ぎたか刃こぼれが見られる。研ぎに出さなくてはなるまい。

 だがそこに無理を重ねて、檻を壊して回った。囚われの人々はブラークに礼を言いながらも、怯えて――主に血まみれのブラークに怯えて、しゃにむに逃げ出していく。

「メロウ殿、何をなさっている」

「こいつ路地に全部罠を張ったって言ってて、解除しないと……ここかな? 違うな、じゃあこっち……えっ!?」

 如何なる執念によってか怪物狩猟者は最後の力を振り絞って起き上がった。メロウが悲鳴を上げ、ブラークが両手剣を振るって首を落した。が、それよりも速く、怪物狩猟者はからくりに噛みついている。その目はにやりと笑っていた。

「いかん!」

 ブラークがメロウを庇った次の瞬間、広場の周囲を囲む家々が爆発する。張り巡らせた糸が脆弱な柱を、梁を、壁を、芸術的なバランスで断ち切っていた。四方の家が内側へ倒れ掛かってくる。降り注ぐ瓦礫から逃れる術はどこにもなかった。

(ああ、ここまでか……)

 メロウを抱きしめて、ほんの数秒であろうとも彼女を守ろうとブラークは思う。その胸にしがみついたメロウが呟いた。

「ごめんねブラーク、全部私が弱いせいなのに」

そして轟音の中に、何もかもが消えていく。

 

13、

 

「……というわけでね」

 メロウはてっきり、あの世にいるのだと思った。でも知らない声がするのは変だなとも冷静に考える。それに故郷の村では、死んだら風になって雪剣に昇るのだと……いや、よしておこう。

「命を救っていただいて、どう礼をすればよいのか」

「いいよいいよ。出世払いで十倍くらいにしてくれれば」

 きゃーっと手を叩いて笑った女性の声に、

「強欲だぞ、コビット」

という地の底から響いて来るような声がかぶさった。

「いえ、ドムリ殿にも十倍の出世払いをお約束いたしますよ。騎士の宣誓です」

「ひゅーう」

「わしは辞退する。ただの世直しの一環に金をもらうのは間違っておる」

 ブラークと誰かが話している。メロウは柔らかな掛布団のなかで、慎重に寝返りを打った。

「む、起きたな」

「メロウ殿!」

 目を開けると、ブラークの顔が鼻先にある。

「近っ」

と言うなり、メロウはむせ込んだ。声帯がミイラになってしまったかのようで、思うように話せない。体を起こして、ブラークが持ってきた水差しで喉を潤してやっと調子を取り戻した。

「では儂らは出て行く」

「ええドムリん、ここは感動の再会を目に焼き付けるとこじゃない?」

「無粋なことをするな、行くぞ。ではまた、騎士よ」

 ブラークは立ち上がって、部屋を出て行くふたりの背中に深々と頭を下げる。やや建付けの悪い扉をぎいぎいと閉め切って、ブラークは再びメロウのベッドの横に腰をおろした。

「メロウ殿、どこも痛いところはないか」

手や足を動かしてみて、メロウは答える。

「うん、少し筋肉痛って感じだけど、折れてるとかはないみたい」

「そうか」

ブラークは何故か目を泳がせて、続けた。

「許可を、いただけるだろうか」

「何の?」

「メロウ殿に、その、触れることについて」

「別にいいけど」

おずおずと伸ばされた指が頬を撫でる。

「無事で何よりだった」

 メロウは掛布団を跳ね飛ばしてブラークの胸に飛び込んだ。予測していなかった動きにブラークは椅子から転げ落ちて後頭部を打ち、数分後に見事なたんこぶを作ることとなる。

「メロウ殿、頭蓋骨の鍛錬はご遠慮申し上げたいのだが……」

床に大の字に伸びたブラークが言った。メロウはその横に並んで寝転んで、

「ごめん」

「サン・サレンの旅路で最も意表を突かれる技であった。私もまだまだ学ばなくてはな」

「その言い方、めちゃくちゃ根に持つやつじゃない?」

「持つ」

「ごめんなさい」

 ブラークはくすくすと笑い始めた。メロウが笑うなと言って胸をぽかりとやると、大げさに痛がってみせたりする。そういえば胸を切られていたのだったと思い至って再度謝ると、ブラークの方はまた楽しそうに笑うばかりであった。

「あの者の技が見事であったから、切り口が綺麗で予想以上に早く傷が塞がってしまってね。ちっとも痛くはない。心配してくれてありがとう、レディ。私は何も傷ついていないから、君が苦しく思うようなことは、何もないんだ」

 その言葉でメロウは一気に思い出す。この件すべてにまとわりついた自分の不甲斐なさを。後悔を。もう守られていたくないという気持ちを。

 むくっと起き上がって、床にあぐらをかいた。

「メロウ殿?」

「きちんと謝らせて。ごめんなさい、ブラーク。私のわがままで全部巻き込んだから」

 ブラークも起き上がって、向かい合う。

「わがままなどと言ってはいけない。それは思い違いというものだ」

「ううん、エルフのところに行かなければ良かった」

「メロウ殿、この件で自分を責めてはいけない。すべてを完璧にこなせる人間などいないのだ。私は確かにメロウ殿より剣が上手いかもしれない。冒険の経験や、広い世界の知識を持ち合わせているかもしれない。けれどそれは、最初から身につけていたわけではないのだよ。師に手を取ってもらい、迷惑を掛けながら覚えていったものに過ぎない。だから、私はメロウ殿に手を貸した。自分の知恵を繋ぐ為に、親鳥が雛を育てるように、大切なものを護ることでこの力を活かすために。私の決意を君が後ろめたく思う必要などない」

騎士はあくまでも真摯に言葉を結んだ。

「確かに自分の不足は悔しいだろう。しかしその思いは正しいが、己の罪だと考えるのは間違っている。それだけは確かだとも」

 

14、

 

 聞けば〈剣竜亭〉でたまたまブラークが声を掛けたドワーフのドムリとその相棒は、ブラークが奇襲をする随分と前から難民区画に潜り込んでいたのだという。しかし糸の罠にはばまれて前進することができなかった。

 そこに謎のエルフが現れて手を差し伸べたそうである。エルフに導かれたのは外部の者が知らない地下通路。それこそが難民区画の人身売買には足がつかないと太鼓判を押される秘密であった。

 地下通路は幾本にも枝分かれしているが、すべてひとつの大広間に収束するようになっている。つまり人身売買が行われる広場の真下に、だ。

「あのデカブツも知らなかったんだろうねえ。家がドカーンとなったら、地下もバカーンと割れるなんてさ。こればっかりはドムリんにしか予測できなかったよ、本当に。流石ドワーフ

「お前が儂を褒めるなど……。明日がこの世の終わりかもしれん」

「じゃあ呑も!」

「馬鹿たれ」

 美味しいパン粥をすすりながら、メロウはドワーフとコビットの会話に引き込まれている。粥は、怪我をして数日ものが喉を通らなかった冒険者に〈剣竜亭〉が無料で出すものとのことである。大盤振る舞いだが、しかし〈剣竜亭〉としても働き手には早々に回復してもらいたいのだろうから、両者にとって得のある仕組みなのだそうだ。それもこのドワーフとコビットに教わった。

 メロウは、ブラークが領主館に報告に行っている間、ここで待つようにと言われている。独りにはできないという親切心でふたりの冒険者はメロウの世話を焼いてくれているらしい。

「そんでね、おふたりが降ってきたからさ。ドムリん担いで逃げたよ、すたこらさっさ♪」

 家の倒壊に誘発されて、そもそも脆弱な掘り方だった地下部分に向かって地面が陥没した。運よくブラークとメロウは真っ先に陥没した位置にいたらしい。

 地下に転がり込んだふたりは仲良く失神しており、ドムリが抱えて逃げだしたほんの数秒後に、地下の広間は全体が押しつぶされて土砂で埋まってしまったという。

「なかなか良い冒険ではあった」

ドムリが言った。

「そうそう、ドワーフ危機一髪。ちな、一緒に捕まってた人たちも、あたしが出口まで連れてったのよん。このナイスバディだから瓦礫の隙間もちょちょいのちょい。エルフに襲われてもちょちょいのちょい」

 メロウはふたりを見て、恐る恐る切り出してみる。

「あのう。私、考えてることがあって。聞いてもらえますか」

「ふむ、言うと良い」

冒険者になりたい」

ドワーフとコビットは顔を見合わせた。

 

15、

 

 ブラークは領主ラドス・フォン・ハルト直々のお小言を聞かされて解放されたのち、二人分の荷物をまとめて〈剣竜亭〉へ向かう。メロウの荷を触って良いものか悩んだが、取りに戻るとまたひと悶着あるのではと危惧したので、あまりじろじろ見ないようにして鞄に詰め込んだ。

 そうして〈剣竜亭〉の扉をくぐると、何やら冒険者の人だかりが出来ている。その中心にいるのはメロウだ。

「いったい、これは……?」

 ブラークが目をぱちくりさせていると、すかさず〈剣竜亭〉の案内人が横に立つ。

「新人冒険者にアドバイスをしたいのですよ、皆様」

「は?」

「メロウ様が、冒険者になりたいと申されましてね」

「……待て。待て待て待てメロウ殿、早まるな!」

「書類は受領しましたので問題ございませんよ」

「そういう問題ではない! メロウ殿」

 つかつかと歩み寄ると人の輪が崩れた。

「お帰りブラーク」

いたずらっ子のような顔で目をきらきらと輝かせてメロウが笑う。

冒険者になるというのは」

「本当だけど」

「それは、勧めないぞ私は絶対に」

「この騎士くんはメロウちゃんの何なわけ? 彼氏なの? 彼氏面してるだけ?」

 メロウに奇抜なデザインの兜を被せようとしていたコビットが茶々を入れた。ブラークは言葉に詰まって真っ赤になり、

「かっ、彼氏でも彼氏面でもない!」

ドワーフはやれやれと頭を振る。

「それに取り合わんでよろしい。しかしまあ、天晴れな娘の思いを聞くべきであろうが、騎士よ」

「ドムリ殿……」

 コビットの手をそっと避けて、メロウは言った。ブラークの目を真正面から見つめる。

「あのね、ブラーク。私はお母さんを探すことを諦めない。そのために強くなりたい。ブラークに頼らなくても世界を渡れるくらいに。後悔したくないんだ」

 ブラークはゆっくりと息を吸って、吐いて、答えた。

「私に、メロウ殿のその決断を否定する権利はない」

周りを囲んだ冒険者たちから雨あられと拍手と口笛が降ってくる。コビットがメロウの背中をぱんと叩いて、

「良かったね、メロちん」

「つきましては、ブラークにお願いがあります」

「うん?」

「弟子入りさせて」

「な………………何だって!?」

「一番弟子ね。まずはお母さんのツルハシを武器にするとこからはじめてさ、その後は片手剣とか、ねえブラーク聞いてる? 何で頭抱えてるの? だって一番強い人から教わるのが一番じゃない? あっ」

 そこで現実に追いつけなくなったブラークは床に大の字に倒れて気絶した。だが現実は彼に追いついており、逃げもしなかった。目覚めたときに待っていたのは、ほくほく顔のドワーフとコビットからの祝福である。

「あの娘は良い戦士になるだろう。ドワーフのように困難を恐れない戦士にだ。それに」

 ドムリはいかつい顔に笑みを浮かべて言った。

「ロング・ナリクの騎士は、困難から逃げないものであろう?」

 

 そのようにして騎士ブラーク・オ・リエンスは翌日パン粥の世話になり、新米冒険者メロウ・ディレンとの旅を新たに始めることになるのである。

 

(完)

 

 

 お読みいただきありがとうございました!

 愛のあまりにシナリオ完結からさらに先の物語を書き綴ってしまいましたが、お楽しみいただけましたら幸いです。

 なお今回の物語に登場する諸々のなかには、いちファンである作者の妄想による光景もございます。例えばサン・サレンの市場やエルフの難民区画の詳細についてなどがその最たるものですが、公式の設定ではない部分がございますことをご容赦ください。

 

 怪物狩猟者については、公式Wikiを参考にしております。【捕獲網】や【乱打】の技能持ちで中級以上の冒険者、主人公たちより格上の敵を相手にするというイメージで書いてみました。

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 さて、物語の終わりに書いたようにふたりの旅はまだまだ続きます。次はどんなシナリオに挑むのか、プレイヤーとしても楽しみです。

 またふたりの道を一緒に見守っていただけましたら、これ以上に嬉しいことはございません。

 

 最後に、シナリオやリプレイではございませんが、ローグライクハーフの派生作品としてロゴを掲示させていただき、お別れのご挨拶とさせていただきます。

 皆様、良きローグライクハーフを!