
※この作品はファンメイドであり、料理名や世界情勢などは多分に個人の想像による解釈を含みます。その旨、どうぞご了承願います。
◇
満月を背に、黒髪の相棒は剣を抱えた姿勢で蹲っていた。
新任近衛騎士ベルールガは揺れる小舟の上、密かに善神セルウェーの守護印を指で結ぶ。彼が父なる我らがセルウェーの、悪に対する冷然とした側面の権化という、ただそれだけでありますようにと願って。
だがその相棒の——同じく近衛騎士ノックス・オ・リエンスの黒い瞳は、それでも冷たすぎるように感じた。昏い宇宙の色。何もかも吸い込んで冷たいままの虚空の色。すべての感情が骸となって横たわる野戦場が湛える色。死神と相対しているような感覚に身震いを覚える。
ベルールガは視線を外して別のものを見た。本来はそちらを見るのが正しい。目標の海賊船の黒々とした土手っ腹が、月光に照らされて蜥蜴のそれのようにぬめった質感を帯びつつ、いよいよ間近に迫ってきている。
ふたりの任務はこの船に捕らわれた某貴族の御令嬢の救出であった。ロング・ナリク使節団の取り巻きというか、社会勉強のために異国を見せようとして父君が使節団の端っこに紛れ込ませた御令嬢が、大陸最大の貿易港を抱えたビストフの街が毎夜繰り返す浮かれた陽気な乱痴気騒ぎに自ら突っ込んで、泥酔の挙句に身代金狙いの海賊に誘拐されたのである。
ベルールガとノックスは、その馬鹿臭い事件の尻ぬぐいを任された。もとい、押し付けられた。本来ならば黙殺したい程度の案件ではあるものの、父親が権力を振りかざして騒いだのでロング・ナリクの王室も嫌気が差したらしく、ならばと虎の子の近衛騎士ノックスを送ると約束して黙らせたようである。
ナリクの上流階級で、ノックス・オ・リエンスの名を知らぬ者はいない。またナリクの裏社会に蔓延る有象無象で知らぬ者もいないだろう。彼は王女コーデリアの忠犬であると同時に、猟犬でもあった。命じられれば如何なる首でも刎ねてくる。相手の居場所が戦場でも路上でも王城でも関係なく。その仕事には如何なる良心の呵責も感じられないのだと、後始末をした同僚がベルールガに漏らしたことがあった。同僚は数か月後に辺鄙な砦へ異動になり、きっと同じ道を辿るのだろうと、白羽の矢を立てられたときからベルールガは内心腐っている。
というのも、ナリク王室は御令嬢の奪還を孤高の猟犬に命じたが、しかし犬の本領は首を噛み千切るところにあるのであって、レディの手を取ることではない——と恐らく例の父親が(母親の可能性もあるが)横やりを入れたらしいのだ。ノックス・オ・リエンスは相棒を連れていく事を命ぜられる。つまりベルールガのことだ。猟犬にとっては嬉しくなかろう。王女の耳に向かって唸ってみせればベルールガの配置換えなど朝飯前のはずだ。
雇った人魚の手によって音もなく海上を滑る小舟は、まだ見張りの目には捉えられていないらしい。買収した内通者の報告によれば、この海賊どもは攫ってきた人質を檻に入れて甲板に据え、その周りで酒盛りをするという悪癖がある。今回も同じ。御令嬢を肴にした酒宴の最中、見張りなどというつまらない任務に身を入れる海賊はいないだろうという予想は当たった。そんな真面目さがあれば海賊には堕さない。
船の後甲板のあたりで、ちかっと光が揺れる。内通者からの合図。あの下に縄梯子が垂らしてある。小舟は速度を上げて接近した。これからはぶっつけ本番、思い切りが物をいう。
もっともベルールガは海賊と斬り合いをするつもりはなくて、あくまでも御令嬢を五体満足で奪還するのが任務だ。とはいえナリク方は二人。海賊は数十名。その差は如何ともしがたく、自分の身に振り下ろされる刃も幾筋かはあるだろう。ベルールガも騎士として腹を括っているが、初めての船上での戦いに不安は禁じ得なかった。
小舟が海賊船に横づけされる。船上のどんちゃん騒ぎが耳に届き、その端切れだけでも野卑な言葉遣いにベルールガは顔をしかめた。ノックス・オ・リエンスは音もなく立ち上がる。闇に溶ける黒いローブを脱ぎ、月光を映す純白のマントを海風にはだけた。
「隠密——」
とベルールガが言いかけたのを、
「黙れ」
猟犬は遮る。ベルールガは大人しく引き下がった。もう犬の牙は血を欲しているらしかったからである。
その短い応答の余韻がベルールガの胸中から消える間もなく、ノックス・オ・リエンスは縄梯子をほとんど手も使わず飛ぶように海賊船の外殻を駆け上がった。既に剣は鞘から抜かれて白刃を晒している。右肩を内に、剣を胸に抱えるようにして甲板の手すりを蹴った。マントをひらめかせた影が満月に浮かぶ。
「初撃に<戦場の風>をぶちかますのかよぉ」
ベルールガは舌を巻く。ナリクの聖騎士が秘める奥の手<戦場の風>は、セルウェー神の聖なる力と騎士の技量とを昇華させた攻撃法、武器から衝撃波を放つという荒業である。空中にある姿勢から軽々と放てるような一撃ではないはずなのだ。然るにこの猟犬は……。
甲板が砕ける音と海賊の悲鳴が夜をつんざき、宴席は殺戮の場へと転じた。ベルールガは泡を食って縄梯子をよじ上がる。甲板に足を下ろしたとき、すでに船上には赤い血の川が流れていた。御令嬢の檻はすぐ目の前にある。
ちらりとベルールガを見遣った猟犬は、長い足を駆動して一足飛びで檻の前に立ちはだかった海賊を斬ると、その勢いで檻の角に回し蹴りを食らわせた。木製の柵がへし折れる音。さらにその反動で高く跳んだ猟犬は帆柱に足を着け、次の跳躍で帆柱の上からスリングで狙っていた海賊の横まで到達するや、剣の一振りで海に落とした。
死神めいた影法師が黙然と海賊たちを見下ろしている。その視線の意味するところは次に血祭に上げる対象の品定めだ。尻に帆掛けて逃げる者、勇敢にも矢をつがえる者、錯乱のあまりに同士討ちする者、甲板に這いつくばって命乞いする者。鮮やかと言うには凄惨過ぎる。
ベルールガはようやく本来の目的を思い出して檻に駆け寄り、猟犬が蹴り壊した木枠をさらに砕いて御令嬢を引きずり出した。その頃には酒の酔いではなく血の酔いによって前後不覚になっていた御令嬢を救出するには、そうするしかなかったのである。綺麗な人だ。白磁のような肌に金の髪がさらさらとかかっている。このような場で出会うのは最悪で、気絶してくれてよかったと思う。剣を鞘に納め、ぐんにゃりと伸びた御令嬢をベルールガは抱え上げた。せめて尊厳と礼儀を保ちたい。それが間違いであった。
破れかぶれになった海賊船の主が、ベルールガの首にびたりと錆びの浮いたカトラスの刃を当てる。
「お仲間の首と引き換えだ!」
耳を舐める、安酒と不潔な垢の混然一体となった匂いが不快だった。それで気持ちを紛らわせねばならないほど、カトラスの刃の震えが怖い。今にも手元がぶれて首の皮を削がれそうだ。
「この女は金で買える! だがこいつの首はどうかな! 尻尾巻いて帰りやがれ!」
海賊の親玉は空に向かって叫ぶ。もう帆柱の上にノックス・オ・リエンスの姿はなかった。当たり前である。どこにいるのか静かすぎてわからない。
ベルールガはひやりとした。この場において自分が助かる保証はないのだということに、今更思い当たったからである。猟犬の速さであれば海賊の親玉の刃が動くまでにその首を掻き切ることは容易だろうが、しかしやけくそになった海賊がベルールガを道連れにしようとする可能性はあり、しかし猟犬がその自滅行為に割り込んでベルールガを救う義理は一切ない。
声に応えて、がしゃん、と剣が目の前に落ちてきた。美しい白刃の聖なる剣。聖騎士の帯びる誇りたるものを、姿は見えねど何処かから、猟犬は易々と投げて寄越したのだった。次は物陰から両手を上げて、音もなく登場するに違いない。
呆気にとられたのはベルールガだけではなく、海賊の親玉も同様であった。そんな脅しが効くなどと。
「はあ……?」
と絶句し、剣に釘付けになる。その背後から猟犬の手が伸びて、カトラスを握った右手首を掴むと一呼吸で折り砕く。痛みに悶え叫ぶ海賊の顔面に猟犬の蹴りが入ると、それきり船上にはもう波の音しか響かなくなった。その意味はつまり、考えたくもない。
「帰投する」
淡々と言った猟犬の言葉が耳を通り抜けた。言外に役立たずめという嘲りが香った気がする。猟犬はやはり淡々と、ただの演習のようにチャマイ式の筒状からくりを組み上げて、夜空に向かって火の玉を放った。任務成功の合図である。海賊船は夜明け前にはビストフ軍が接収し、運が良ければ鼻の潰れた海賊の親玉を尋問することになるだろう。
ぼんやりした頭で御令嬢を抱えて小舟に降ろしつつ、ベルールガは、
(俺、騎士やめよう)
と決めた。
◇
小舟に揺られながら、ノックス・オ・リエンスは彼方に揺れるビストフ港の光を眺めている。人魚に曳かれた舟なので、海洋生物の危険にはさほど注意を払わなくても良いのが有り難かった。人間の漕ぐ舟には悪意を持って接する者も、同朋が味方しているのであれば見て見ぬ振りをする。その原理は海千山千の暗躍するナリクの王宮においても同じことだろうと思った。
ちらっと目を遣ると、令嬢を抱きかかえた若き騎士が(と言ってもほんの一歳の違いだが。騎士の姓名と年齢と技量のほどは全てノックスの頭脳の内に収められている)びくりと肩を震わせる。
嫌われたものだ。怖がられてもいる。しかし、それでいい。連帯は必要だが、仲良しこよしをするために近衛騎士でいる訳ではなかった。そんな感覚では大敵ジャルベッタの脇を固める精鋭部隊には遠く届かない。
港近くの砂浜に舟を付ける。下り立つなり、今や遅しと待ち構えていた迎えの者たちが駆け寄った。令嬢の親が、騎士に抱えられた愛娘の手を取る。まだ悪夢の中にいる顔の若い騎士は居心地が悪そうに質疑応答し、ちらちらとノックスの方を見た。
ノックスは返り血の付いたシャツを着替えて嫌そうな顔をした従者に押し付け、潮の香り漂よう真っ黒で地味一辺倒のローブを羽織り直すと、
「少し散策してから戻る」
と言い置き、さっさと歩き出す。
この時ノックスの頭の中にあったのはひとつ。血に酔っていた訳でもなく、罪悪感に苛まれたのでも任務完了を誇らしく思っていた訳でもなく、ただ。
「腹が、減った」
という一事だった。
◇
まだ夜は開けきらず、空には満月が居残っている。そんな時分でも、大陸随一の貿易港を抱えるビストフは寝静まるという言葉を知らない。ノックスは千鳥足の酔客を避け、目つきの悪い水夫からは距離を取り、暗がりの不気味な水たまりを踏まぬよう足先を見ながら、くたびれた影を引きずってのそのそ歩く慎重な冒険者を装う。
けれど目と鼻は鞘に納めた剣と同じくらい研ぎ澄ませていた。美味しい店は不意打ちに現れ、振り返れば見失うもの。勝負は一撃の内に着く。
(漁船がそろそろ戻る頃か?)
であれば桟橋の近くの店が良いかもしれないと思った。今宵の惨劇の噂が届くのは昼以降だろうし、ノックスと結びつけられる確率は低い。それに今のノックスの衣装はどう見ても羽振りの悪い冒険者だ。身につけているものは磯臭いマントに、檻を蹴り壊したときに踵の割れた靴、あとは目の下の隈。
余所者として認識されはすれ、大陸で最も由緒正しい国からやってきた王室付近衛騎士にしてはみすぼらし過ぎた。
(ん。揚げ物の匂いがする)
潮風に油の香ばしさが一筋混ざっている。嗅ぐやいなや、腹がぎゅうと鳴って突撃を進言した。
(その言や良し!)
いざいざ、と歩調を速めたノックスの耳に人声の賑わいが届く。酒が入っている——当然だろう、この真夜中なのだから——が嫌な声ではない。がなり立てたり、喧嘩のようであれば避けようと思っていた。反射的に制圧すれば悪目立ち待ったなしである。しかし聞こえたのは男女の笑い声と、それから驚くべきことに夜更かしもいいところの子供の声。ならば治安の良い店に違いない。
一本奥の路地から煌々と明かりが漏れ出ている。覗き込むと、あった。余りの人気に椅子と机が路上まで侵攻した越繁盛店。からりとした油の香りは、間違いない、美味い。そうノックスの尖兵たる鼻が報告している。
机を掻き分けながら観察したところ、一番人気はフリットだ。特にノックスの手首と同じくらいの太さがある、ぐねぐねした形の巨大なフリットが目を引く。ベビー・クラーケンの脚だ。是非とも注文しよう。ビストフの下町名物だが、王宮で出すには下品だとしてこの三日間お預けを食らっていたのだ。口中に唾が溢れる。
入り口に近づくと、うら若き乙女が注文を取っていた。ノックスの前に並んだコビットの船乗りたちはフリットを十人前も頼み、凄まじい大食漢なのかと目を見張ったが、何と言うことはない夜明けに出発する船へ持ち込む為にテイクアウトするのである。ますます美味しさが保証されたようなものだ。
「お兄さん、何にします?」
ノックスの順番が回って来て、そばかすの散った看板娘がにっこりと笑う。
「ベビー・クラーケンのフリットと、それから……」
安過ぎず高すぎず、あまり強くない酒を注文する。目立たず今日の気分に合うものを。
「お店で食べていかれるなら、奥の席へどうぞ」
看板娘の示した方向を見ると、確かに都合よく一人分の席が空いている。ノックスは礼を言って、更に人を掻き分けて椅子に尻を滑り込ませた。ほう、と肩の力を抜いたところで酒が来て、熱々のフリットも直ぐに来た。鉤型になったクラーケンの脚が、料理人を引っ掴もうとした瞬間に揚げられてしまった無念を訴えるように皿の上に屹立している。不覚にもノックスは笑ってしまった。
料理を運んできた給仕が目を留めて、
「お兄さん、これ初めてです?」
「ああ」
「まずはそのままガブっとね、でも熱いんで気を付けていただいて、その後はお好みで、小さい壺に入ってるビストフの塩、サン・サレンの白辛子に、東国産の山椒を使ってくださいね」
ごゆっくり、と声をかけて去って行く。その嫌味の無い、かつ手際よく情報を伝える言葉にノックスはプロ意識を感じた。これは心して食べねばならぬ。
セルウェー神に巻き気味で食前の祈りを唱え、手づかみでクラーケンの脚先に歯を立てる。今宵の満月の色をしたさくさくの衣を割って、弾力ある身に歯をうずめると、舌先をうまみの大波が翻弄した。そして予想はされたが、奔放に熱い。しかしその焼けるような熱さすら美味いのだった。
「はふ……」
と我知らず声を出しながらノックスは夢中でかじりついている。
何と無作法に食べていることか。手づかみの油まみれ。口いっぱいに頬ばったせいで顎から垂れた汁を指先ですくって舐める。母様に見られたら良くて平手打ち、機嫌が悪いと脳天に花瓶が飛んでくる姿だ。父様は多分、一緒になって油まみれになってくれるだろう。けれど今は誰も見ていない。ただ天地の間に、自分とクラーケンのフリットが存在するだけ。この罪深いぷりぷりの身はの最後の一欠片まで美味しく食わねば、罰当たりというものだ。
一口目を咀嚼して喉の奥へ送り込み、しばし忘我の境地をたゆたっているノックスの目に、思いがけないものが映った。店先の路地を肩を丸めてとぼとぼと歩いて行くのは、先ほどまで一緒だった後輩騎士のベルールガである。よくよく考えれば、非番の近衛が休む宿舎からこの店まではさして遠くない。通ってもおかしくはないのだ。
ベルールガは意気消沈の体で、暗闇の中に溶けるように歩み去る。止めろと騎士団長に言ったのに却下されたのが悔やまれた。戦場慣れしていない騎士に見せるには、僕の任務は刺激が強い。何か方策を考えねば、早晩ベルールガは近衛を辞めて、親の領地で私兵の鍛錬でもして一生を送るだろう。それは惜しい。何か。
ノックスは先ほど船乗りたちがテイクアウトしていったのを思い出した。冷めても美味しいならベルールガに差し入れするのはどうか。しかし僕からでは逆効果かもしれない。
悩みながらノックスは壺を開けて、直感的に山椒に狙いを定めた。小さな匙で掬ってフリットにふりかけると、鼻の奥につんと澄ました高貴な野の匂いが着陣する。どうぞ、いらっしゃいと挑発しながら。
堪らずかぶりつく。東の国から来た魔術的なスパイスは口の中で旨味を大爆発させた。爽やかでありながら野性的。野のモノであるのに海のモノすら抱擁する未知の刺激。ほんの小指の先ほどの粉に、このノックス・オ・リエンス、近衛騎士中最強を自任する男が、
「はう」
抵抗できずに手玉に取られた。形容詞が溶け流れるほど美味しかった。
申し訳ございません、我が善なるセルウェーよ。海神に宗旨替えする気はさらさらございませんが、この海の幸は極めて強力であり——。
「いやお兄さんめちゃくちゃ美味そうに食べますね! いいですね! 嬉しいんで海鮮クリームコロッケ、まかない用のやつサービスしますけど食べます?」
給仕に横に立たれたのに気づかなかった。不覚。なんという手練れ。この僕に対するに殺気のひとつも抱かないとは、完敗だ。そう思いながらノックスは素直に、
「いただきます」
と頭を下げた。
◇
ベルールガは救出任務から戻るなり、自分は近衛騎士には相応しくないため故郷へ帰りたいと騎士団長に申し出たが、訳知り顔の騎士団長は咳払いひとつして、少し休めとだけ言い、ベルールガの辞意を保留した。いつまで休んでよいのかはわからない。休んだところで、という気もした。
翌日は兵舎で腐り、その次の日はビストフ滞在最終日とあって騎士団の打ち上げに仕方なく参加する。腫れ物に触るように扱われるのも嫌だった。
宴席は王宮ではなく下町の店を借り切って開かれる。外の空気を吸いたいので都合が良い。路地裏を抜けて店に辿り着くと、何故か一番乗りは例の猟犬である。店の奥で不景気そうな顔をして待っていた。別行動ということは、今日もどこかで血を流してきたのか。ベルールガは隙あらば回れ右して逃げようと企てたが、先輩騎士たちにことごとく阻まれる。
「まあまあ、地元っぽい海の幸を食べずに帰るのつまんないだろ」
「ノックスが選んだ店は絶対に美味しいから。騙されたと思って」
などと宥めすかされて着席すると、何故か向かいにくだんの猟犬が着席した。
「サ、サー・ノックス。俺、あの、俺の前なんですか」
「嫌か」
「いや、いやっていうか、あの」
真昼に見ても、その黒い瞳は恐ろしかった。何人も受け入れないと書いてある。その猟犬の背中を騎士団長が力強く、かつ親し気に叩いた。ベルールガは、ぽかんとする。
「サー・ノックス。お前さんが不器用なのは分かっとるが、もうちょっと愛想よくなる努力をしちゃくれんか」
猟犬は眉根に皺を寄せた。真剣に悩んでいる。悩んでいる? この死神の仲間のような猟犬が?
そして猟犬は心胆寒からしめる声音でぼそりと言った。
「クリームコロッケも美味しい」
不意を突かれてベルールガは思わず噴き出し、釣られて気のいい先輩騎士連中も噴き出し、ただひとり猟犬だけが憮然としている。だが、その騒ぎの中でベルールガだけに聞こえるように続けた猟犬の言葉は、ベルールガの進路を決めた。
「あの様を見て何の呵責も感じないのであれば、近衛騎士には不適格だ。お前が倦んだのは正しい」
「サー・ノックス?」
「冷めないうちに食べろ。美味しくだ。わかったか」
そして猟犬はベルールガの答えを聞かずに席を立つ。
不可思議な先輩の背を見ながら、何にせよベルールガはもう少しだけ騎士を続けてみようと思った。あれほどの死を振りまいてなお猟犬は、いや、サー・ノックスはまだ人としての心を保ち続けている。その在り方をベルールガは知りたくなった。何が彼を繋ぎ止め、あるいは駆り立てているのか。
好奇心は騎士を殺すか?
多分殺すかもしれないが、生き方としては面白いだろう。
「ごちそうさまでした」
[完]